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陰謀説史観のフルフォードの主張は世界の1%の金持ち=ユダヤ資本が第三次世界大戦を画策し、世界の人口を9億人に減らすことによって、人口の多寡からの環境問題を解決し、残った9億人は奴隷として、自分たちの裕福な暮らしを維持することにあるということです。地震武器とか気候武器などがあって、中国やソ連やアメリカが盛んに日本の近海で地震を起こしているそうです。このようなことを言って大丈夫かと思いますが、日本の輸出の代金をアメリカの国債で精算していますが、永遠に金には代えられず、そのうちハイパーインフレになってドルが紙くずになるようです。中国は早めにドルを売り払っています。このようなことを言われるとそれもありかなと思われます。日本の景気や給料が上がらないのは、アメリカの国債を買いすぎて、あっという間に目減りしているからです。日本はアリをやめてキリギリスにならないといけません。アメリカ国債を取り崩し、百閒のように借金を恐れることなく、カネがなくなっても図々しく生きて行く必要があります。
百閒の家族がインフルエンザにかかり、看護婦を雇ったのですが、その看護婦の給料が百閒の月の給料を上回り、湯河原温泉で養生していた漱石に借金を頼みに行きます。行きがけの交通費だけを持ち、湯河原に行き、漱石からは快く借金を快諾され、今日は飯を食ってここに泊まっていけと言われました。そこで図々しくも百閒はビールをつけてもいいかと聞きます。もちろん漱石は断りはしません。あくる日、交通費までもらって帰っていったのです。精神的に暗い漱石はものにこだわらない、図太い弟子の百閒を見て、自分にないものを感じ、それ故目をかけていたのでしょう。漱石はまた質屋の利用方法も百閒に教えています。質草を流れないようにするためには利子だけを追加補給をすればいいのだということです。百閒は世間の常識に疎い人でした。また百閒は小判を質屋に入れ、カネを借り、この行為を不思議がっています。経済学の初歩、カネとは架空のものでしかないということに気づきます。要するに「信用創造」、流通するおカネはみなが信じているから通用するのであって、小判は価値はあるが、骨董としてあるのであって、流通するというものではないということです。百閒はこれに開眼し、ますます借金をします。カネは回さないといけないのだ、貯めて動かさないのは経済の低迷をきたすということまでの考え方に至ります。まさしく現在企業は内部保留をし、老人は将来不安からカネをため込んで使わないようになっています。これではいつまでたっても景気は良くなりません。百閒のように借金をしてまでもうまいものを食ったりする人が多く出ないと日本の経済はよくならないでしょう。
悪徳不動産屋とスルガ銀行がつるんで消費者をだましたという事件です。土地と建物で7,8千万円のものを二倍の値段で売り付け、家賃保証を不動産屋がしていたにもかかわらず、それができなくなって、それらシェアハウスを買った消費者が自腹で借金を払わないといけない状態になりました。家賃収入で銀行の借金返済もでき、なおかつ20万円の収入が入ってくるといううまい話だったのです。スルガ銀行の罪は収入や預金の金額を改竄して、本来この程度の収入では借りられない人に一億や二億も貸付けていたのです。たとえ消費者が万歳しても、物件を取り上げ、なおかつ消費者には多額の借金が残るという仕組みで、決して損はしない仕組みになっていました。
裁判しても銀行には勝てないというのが相場でしたが、有能な弁護士のおかげで、借金がチャラになりました。この事件で分かることは、当たり前のことですが、うまい儲け話には乗るなということです。岸田首相が貯蓄から投資と盛んに言っていますが、これもどうかと思います。投資とはうまい儲け話と同等で、詐欺の温床でもあります。素人がやるべきものではありません。
今イスラエルのベンチャー企業が引っ張りだこだそうです。アメリカ、中国、ドイツなどがそれらの企業に投資しています。日本は最近になってやっと投資しています。何といってもAIの技術が格段に優れているからです。自動運転で、もう人間はハンドルを触ることなく、自動車が勝手に動いて目的地まで運んでくれるというのを目指しています。あと少しで完成の域まで上がっています。日本の自動車産業は大丈夫でしょうか?あとはロボットとナノテクノロジー。イスラエルの強みは、やはり教育にありそうです。日本語の学ぶは真似ることに通じます。知識をインプットすることも大事ですが、それ以上に自分の頭で考えることが最も大事なのです。出る杭は打たれるという環境は最もアイディアを枯渇させます。このようなことを長らくやっていると、忖度という媚びが蔓延します。人間関係は潤沢になりますが、創造力は確実に衰えるでしょう。若者は生意気ぐらいがちょうどいいのです。どうも最近の日本では生意気な若者が少ないような気がします。変に気が回って如才のない若者が多い。
最近やっと私は郵便局のカードを使うようになりました。生活費を下すためです。以前も今も現金主義者で物を買うもすべて現金です。アマゾンなどで購入するときも着払いで、余分に金をとられますが、カードで買うということはありません。唯一郵便局でカネを出す時だけカードを使うようになったのです。私の金銭行動は江戸時代とあまり変わらないものでしょう。最近はカードいっぺんどうで、現金での取引は減少しているようです。ポイントなどがつき、買えば買うほど安くなるという仕組みもあります。マイナンバーカードも税金申告のために作ったのですが、ポイント何千円かをどうもらうのかわかりません。時代に流についていけないようになっています。
貨幣経済が定着したのは戦国時代からです。それまでは物々交換やら、奈良時代、隋唐の銅銭を輸入して細々と貨幣経済を行っていましたが、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康のよって貨幣経済が確立していきます。今の私と同じように戦国時代から、石高で給料をもらっていた戦国武将たちも貨幣経済に変わって戸惑った人も多いでしょう。米を売って貨幣に代え、それでいろいろな支払いに充てる操作に、商人たちにいいようにされて多重債務者になっていくのです。戦いには強いが、商行動には疎い武将たちはやがて江戸時代になると淘汰されて、代わりに金銭に目ざといテクノクラートが政治をつかさどっていきます。