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ロシアとウクライナの戦争を予見したものではありません。この本の要旨は、財務省の、相も変わらずのデフレ政策、緊縮財政とプライマリーバランスによって借金の返済と徴税強化でますます日本をデフレにし、日本を貧乏国にさせ、おまけにグローバリズムによって、日本が切り売りされ、英語が少々喋れて機転の利くものが大金持ちになり、その他のものは大方貧困にあえぐという世界になっているということです。もともとCHQによって主権を奪われた国であって、いまだにそれに気づいていなく、北朝鮮のミサイル攻撃に対して何ら法律的な対処ができていないと嘆いています。現在もっとも日本に必要なものは、保守主義反グローバリズムの人たちです。こういわれると戦前の大政翼賛会のことを思い出されますが、そうではなく、日本のかつてからある災害に対して皆で協力して立て直していくという優しい心根です。それには西洋の神が罰するのと違って、日本の天皇がそういう言った困難に寄り添っていくという、共感性です。西洋の神は差別を作り出しますが、日本の天皇はみなを励ますような存在です。
ツイッターやフェイスブックでちょっとした冗談でも世界的に拡散されてバッシングされるということが多くなりました。そのことで今までの経歴が消され、会社も首になり、路頭に迷うことになります。ジョン・ロンソンはこれを恥さらし刑の復活ととらえています。世界的には今もありますが、欧米では1世紀前頃には、公開でむち打ち刑がありました。今日のように大都会ではないのですから、むち打ち刑をされた人を近所のものはみな知ってしまいます。その街にはいたためなくなるでしょう。ベネディクトは日本の文化を「恥の文化」、西洋を「罪の文化」としてとらえましたが、欧米人も神に対する信仰も薄くなり、神よりも目の前の他人に対して恥を感じるようになってきているらしい。欧米人も一歩日本人に近づいてきたというところでしょう。だから一世紀前の政治を行うプーチンには「恥を知れ!」と言いたい。ロシアには日本も火事場泥棒に会い、不戦条約が交わされていたにもかかわらず、日本が落ち目とみると、アリューサン列島から千島列島を占領してしまった。これにはアメリカのルーズベルトも絡んでいましたが、これら近欲な白人種に恥を知れと言いたい。今からの政治家は恥だと言われたら日本の武士のように切腹するくらいの気概を以ってやってほしいものです。
我々終戦後に生まれたものは、アメリカの巧妙な歴史教育によって原罪を植え付けられ、贖罪の気持ちに誘導されたのではないかと思われます。我々父・祖父たちはアジア各地で2000万人近くを殺し、世界の鬼畜だったので、アメリカは原発二発で日本の息をとめたのだと。本当のところは日本人全体を抹殺したがったが、心優しいキリスト教徒であるので、原発二発のお灸で留めたのである。ありがたく思え、と。我々終戦っ子もアメリカの寛大さに感謝し、アメリカのポップ、ドラマ、映画にうつつを抜かし、あっという間に死ぬ間際まで来ています。今プーチンがウクライナで戦争を仕掛け、第三次世界大戦になるのではないかと心配されています。で、本当のところ正義とは何かということが問題になります。我々の父・祖父は果たして不正義だったのであろうか?でも、この本を読むと、アジア各国、戦争していた中国すら、日本軍がアジア各国からイギリス・フランス・オランダなどの植民地者を監獄に収容し、排除したことを大いに喜んでいます。日露戦争で白人を負かしたことで、世界の有色人種は気持ちが変わったように、実際今まで強権を発揮し、アジア人を人間とも思わないような白人種が小さい日本兵に小突かれ、檻の中に入れられるのを見ると、喜びの気持ちが、もはや二度と白人種の思い通りにさせないという確信に変わります。日本が負けても、アジア、インド、中東、アフリカまでも、欧米諸国の都合のいい植民地政策は継続できなくなりました。日本は第一次世界大戦が終わった年に人種差別撤廃法案を国際連盟に出しています。植民地を収奪し、奴隷を酷使する先進国は無視します。当時の世界では白人種を「白魔」と呼ばれ、はっきりと言って日本人を「鬼畜」と呼ぶ資格などなかったのです。
わたしも多く間違いをしているでしょう。変換時の間違いが多いようです。文字が小さいため、確認するのが面倒になってきています。それに変換のキーを押しても変換できない時があります。それは漢字を自分勝手読みしているから、辞書にはない言葉なのです。おまけに緑色の葉選が出て、言葉のチェックが出てきます。スペースを空けたりすると緑色の葉選が消えたりします。消えない時もあります。この本に出てくる例文もどこと言って間違いはないのと思っても、オーソドックスな日本語では間違いとされているものもあります。日本語も変化し、諺だってまるで逆の意味に取られたりしています。幼児のころから英語を習わすようになってきていますから、そのうち日本語は消滅するかもしれません。日本語どころか、日本国土が核兵器で蒸発しているかもしれません。
三橋貴明は移民を受け入れてはいけないと主張しています。ナショナリズムには縦軸と横軸があって、横軸とは災害の多い日本国にあってお互いに助け合う心情であり、縦軸とはそのような心情を育んできた歴史そのものです。縦軸の中心は万世一系の天皇制であり、それも男系制です。決して女性が天皇であってはならぬ、のです。過去ピンチヒッターとしての女性天皇はいましたが、孫が成人するまでの間だけです。かつて女性天皇に道鏡のようなものがついたしておかしくなりました。これがもし現在のように移民を多く入れたりしていると、女性天皇に中国人やアメリカ人の婿がついたりする可能性だってあります。この両者ともグローバリズムの最先端を走るものであり、金儲けのためなら国境という垣根さえ払ってしまいます。日本人の求心力であった天皇制も跡形もなく、なくなるでしょう。我々日本人は中国人のように中華鍋や散髪の鋏があればどこにでも行けるというコスモポリタン的なものは持ち合わせてはいません。またアメリカ人のように深いところで差別主義者であり、表向き親善そうでも、冷酷なところを持ち合わせている人間にはついていけません。この前の大戦で日本の捕虜が非常に少なかったのは、戦陣訓の「生きて虜囚の辱め受けず」というのもありますが、記録映画でも見る通り、海に漂う無抵抗の日本兵士に機銃で撃ち殺していました。よいインディアンは死んだインディアンだということです。
さてこのウクライナ戦争で避難民を日本に受け入れようという気分に盛り上がっていますが、なぜビルマなどの東南アジアの難民を受け入れしようとはしないのでしょうか?ウクライナがヨーロッパに近いということで、いまだ日本人には舶来趣味があって、人間でも白人に近いものを好むようです。生活費年間300万円も与えるそうで、これは私の収入よりは高い。プーチンには北方4島で騙されて、3000億円もふんだくられたそうですが、日本は甘いと思われても仕方ない。