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つやつやごはん

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つやつやごはん


    赤瀬川原平の最初の給食は鯨肉です。教室に七輪を持ち込んで、先生が焼いてくれたそうです。硬くて食えなかったと言っています。終戦からちょっとした時期でしょう。家からはごはんを弁当に詰めて学校に来たのですが、結局ごはんも残ってしまいました。10年若い私たちは、親たちが給食袋を作ってくれて、その中にアルミの食器を入れて通学していました。給食ではコッペパン、スープか脱脂ミルク、メインディッシュという取り合わせです。私は残さずに食っていたものです。なかには脱脂ミルクが臭いといって飲まない裕福な子供も居ましたが、私はきれいに飲み干していました。

日本人が満足に米を食えるようになったのは大正時代を過ぎてきた頃です。それまでは麦や稗を食べたりしていた。今東光は東北での「振り米」という「哀しい伝説」を紹介しています。病人の枕元で米の入った竹筒を振って、元気になったら米を食わせてやると元気付けていたのです。しかし元気になったら米など食えません。最近世界遺産で和食が登録されましたが、「伝統的な和食」など実際のところありはしません。本当のところは江戸時代、酒のあてとしてのこざっぱりとした料理屋の料理が大本となっているのでしょう。遊女と懇ろになるための、形だけの料理です。「通」であるための馬鹿げた作法も取り入れます。俗に板前料理といわれるものです。大方の日本人は麦飯や雑穀を食べ、副食に漬物、たまには焼き魚くらいではなかったでしょうか。

死ぬ時に何を食べたいかと設問があります。やはり日本人ならごはんでしょう。でも最近の若者ならコンビニのむすびになるかもしれません。幼少の時から食べているのですから、それらについている添加剤や防腐剤の薬品臭い香りも若者にとっては懐かしい味になっているのかもしれません。私のところでの塩だけのむすびでは何か味が薄いと感じるでしょう。コンビニむすびは機械の成型のために植物油を添加して、機械にくっつかないようにもしています。私たちも若い頃ズルチンやサッカリンを食べてきた部類ですから、今の若者をどうのこうのと言うのもはばかれますが、コンビニのおでんもおいしいよねと言われれば、あの澄み切ったオデンの出汁にはどれだけの薬品が入っていることか知ってのかと言いたくなります。

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