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「元日や 餅で押し出す 去年糞」(金子伊昔紅)
何とも骨太の俳句である。力がみなぎっている感じだ。力みすぎて、脳溢血にならないように気をつけたいものだ。
「大海月(おおくらげ) ゆらりはるかに 富士の山」(山崎十生)
卑小なものと偉大なものの対比がすばらしい。くらげと富士山を結びつけることさえ思いつかない。
「敬老の 日の過ぎ次の 日も過ぎて」(今井鶴子)
淡々と日日は過ぎ去っていく。淡々と死に行くだけだ。
「啄木忌 いくたび職を かへてもや」(安住 教)
今や日本は終身雇用制ではなくなっている。大方のものが啄木のように貧窮に喘いでいるであろう。
「小便の 身ぶるい笑へ きりぎりす」(小林一茶)
初秋の日であろう。朝まで我慢できなくて、一茶が小便した時、キリギリスが鳴いた。大いに笑へ、大いに鳴け、俺もお前も後わずかな命だからな、という心境なのであろう。
「咳をしても一人」(尾崎放哉)
有名な句だ。放哉の孤独がわかる。それも1000年の孤独だ。のたれ死ぬ人の句である。
「かき氷 シェーンが去りし 少年の日」(角川春樹)
「シェーン、カムバック」映画の最後で少年が叫ぶ。いまだにそのシーンが焼きついている。私もあの頃にカムバックしたい。
「払うても 払うてもモンゴルの蝿」(境野大波)
モンゴルはそんなに蝿が多いのか?蝿を女に見立てて、願望の句ができる。
「払うても 払うても 私に取り付く女たち」
「やがて死ぬ けしきは見えず 蝉の声」(松尾芭蕉)
蝉は元気そうに見えてもたかが2週間の命だ。いまもせみの鳴き声が聞こえる。黒沢明の映画を思い出す。ガンを宣告された市役所の職員が最後だと思って公園を作る。これも最後のシーンで主人公が公園のブランコで口ずさむ歌が涙をそそる。
「太刀魚や 遠き光を 撥ね返し」(佐藤文香)
海の中での太刀魚は本当にキラキラしていることであろう。闇の中の蛍といい勝負だ。
「ふるづけに 刻む生姜や 朝ぐもり」(鈴木砂女)
私の店に来れば刻み生姜の古漬けはいつも食べられる。
「年問えば 手袋ぬぎて 指だす子」(小沢昭一)
この人も死んだ。私の周りからドンドン人が死んでいく。またガンになったとか、脳梗塞でおかしくなったとか、心臓にカテーテルを入れた手術をしたという話がしょっちゅうだ。
「気がついたときは 荒野の蝿だった」(津沢マサ子)
意味はわからないが、これに触発されてこんな句も作ってみた。
「気がついたときは末期のガンだった」自分ながら安易な句作だ。こんなのはダメだ。といっても、このような不安もぬぐいきれない。
「こめかみを 機関車がくろく 突き抜ける」(藤木清子)
たぶん頭痛のことだろう。機関車が通るくらいだから、さぞかし痛いであろう。
「うつくしや 障子の穴の 天の川」(小林一茶)
ボロ屋と天の川の対比が尋常では思いつかない。携帯に缶きりの機能がついたようなものだ。
「下駄買うて 箪笥の上や 年の暮れ」(永井荷風)
誰もが正月、気分を一新したい。ひねくれものの荷風も常人と変わらぬ。
「わが死後へ 澄み行く梅酒 漬けにけり」(正木浩一)
私の父が死んだときも、マムシをいれた焼酎やわけのわからない液体の壜が多くあった。何年後すべて妹が捨ててしまった。「いらんものはドンドンすてないときりがつかないわよ」と言いながら。
「すごすごと包丁差しに戻るなり」(広瀬ちえみ)
佐賀県の高校生殺害がまず頭に浮かんだ。広瀬ちえみはかっとなって包丁を手に取ったが、思いなおして包丁を元の場所に戻した。この高校生は自制がきかなかったのか。
「愛されずして 油虫 ひかり 翔つ」(橋本多佳子)
カブトムシのようにめでられる虫もいれば油虫のように毛嫌いされる虫もいる。人間は勝手なものだ。
「ひぐらしの真只中や 箸はこぶ」(川崎展宏)
これも独り者の句であると解説にある。私も蝉なくのを聞きながら朝食をとった。あと何回夏を過ごせるのかと思いつつ。