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この自伝をローソク二、三本で読める本だと誰かが言っていたと解説に書いていますが、私は2週間以上かかりました。分厚くて重い本です。
エドワード・ギボンは一生のうちで公職についたのはわずかな期間しかなく、ほとんどヨーロッパ各地で学んだり、本を読んだりして過ごしています。祖父の時代南海泡沫事件で財産が大幅に減ったことがありましたが、父の時代でも少しずつ財産が減り、そうかといって子のギボンが働いて稼ぐ必要もなく、とうとう「ローマ帝国衰亡史」という浩瀚な書物を書き上げています。この時代のヨーロッパの学者や芸術家はみな世界の植民地からの恩恵を受けて、自分の好きなことができたのでしょう。
「私はもしも自分が今よりも一層貧乏か一層裕福な家庭に生まれていたならば恐らく歴史家たる仕事を完成して名声を獲得することは不可能だっただろうと、つまり私の精神は必ずや貧窮と軽蔑で挫けただろうし、私の精神は有り余る財産に伴う苦労と贅沢で弛緩しただろう、と内心で確信し堂々と公言してもよいと思う。価値ある重要な著述が馬小屋や宮殿の中で達成された実例は極めて少ない。余暇と独立、書籍と才能を備えて紳士にして初めて、名誉と報酬のはるかな見通しのもとで著述に励むように勇気づけられる」
彼らのためにスリランカなどアジア、アフリカの国々が、茶畑の耕作に狩り出されたり、ダイヤモンドや金の掘削に強制労働されたりしています。まさしく古代ローマ帝国が奴隷の労働で成り立っていたように、18世紀19世紀の世界は奴隷がヨーロッパを支えていたのです。現在でも形を変えた植民地的経済世界が依然として続いています。古代ローマが衰滅したのは、「パンとサーカス」という、飢える心配のない、国民を遊び呆けさせる政策によるものです。フランスのようにストばかりやっているようでは、そのうち国がやっていけなくなるでしょう。