マックス・ウェーバーの言う、プロテスタンティズムが資本主義を作ったように、儒教精神が日本を経済大国にしたのだという考えです。古代ギリシャ・ローマでは労働は奴隷がするもので、市民は昼間から風呂に入り、オリンピック競技をし、時には戦争に出かけたりします。やがてキリスト教が広まると、人口も増えて、遊んで食っていける人はすくなくなり、誰しも働かないといけなくなります。旧約聖書を見てわかるように、エデンの園では働かないでも天国の生活ができていました。禁断の実を食った罰で、神から労働を課せられます。嫌々ながら労働していたことがわかります。ところがルターやカルビンによって労働することで神に喜ばれ天国に入れるのだと発想を転換します。嫌でも天国に入れるために禁欲して労働に努めたのです。それがアメリカで花が咲きます。大富豪たちが続出します。資本主義の完成です。ところが行き着いた先は古代ギリシャやローマの主人と奴隷の世界に舞い戻っているのです。欧米の社長の給料は労働者の何万倍の給料を取っているのです。労働忌避の残滓がこれによってわかります。
儒教では寛容、中庸、礼節の世界観を持ちます。もちろん労働はきついものですが、忌避するようなものではありません。稲刈りしながら神に感謝しています。現在では少しアメリカナイズされたようで、社長の給料も上がりましたが、高度成長時代では社員とあまり変わりなく、一緒になっていい製品を作ることに邁進していました。労働など奴隷がするものだと誰も思ってはいません。あっという間に日本のモノ作りは世界を圧倒します。この本の出版は1992年で、バブルがはじけた少し後ですから、まだ日本の栄光は燦然と輝いていた時期です。この頃から日本は高ぶり、アメリカに説教すらしています。ものづくりを放棄して、金融で儲けようとしているばかりだと。ところが20年後、今や日本のモノ作りは衰退し、見る影もありません。モノから人、現在ではそれらの上澄み、革新的なアイディア、考え方が最も重要なのだということがわかります。アメリカはこのことに気づき、プラットホームなるものを作り、あたかも印税が毎日チャリンチャリンと入ってくるようなシステムを作り上げました。日本はこのシステムを使わせてもらうためにチャリンチャリンとお金を入れているだけになりました。