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ミヒャエル・モーザー 少年写真家が見た明治日本

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ミヒャエル・モーザー 少年写真家が見た明治日本


        オーストリアの片田舎のアルトアウスゼーで生まれたミヒャエル・モーザーが写真家のヴィルヘルム・フーガ―の助手となり、アジア遠征隊に加わり明治日本に来ました。15歳の時です。遠征隊は帰っていったのですが、ミヒャエル・モーザーは航海の苦しみに嫌気がさし、同時に日本にいることに居心地の良さを感じたのでしょう、日本に残ることになりました。15歳の少年にしては大した勇気です。母国では小学校程度しか教育を受けなかったのですが、日本に来て、英語、日本語、フランス語、それに正式なドイツ語を身に着けました。徐々に経済的のも安定し、ウィーン万博博覧会の日本の通訳になります。アメリカでのフィラデルフィア万博でも通訳者になり、アメリカに行きます。そこで熱病にかかり、万博が終わると日本に帰らないで故郷に戻ります。後にパリ万博でも臨時の日本事務局の通訳者になります。あとは本国で写真家として生きて、1912年59歳で亡くなっています。

遠征隊で日本に来るまでいろいろな国に留まったのですが、他の国に比べ日本は清潔好きで、礼儀正しく、信頼に足る民族だと、うれしいことを言ってくれています。中国などではお金をぼったくられています。ただし日本人は好奇心旺盛で、ミヒャエル・モーザーが泊まった宿屋などでは、障子が破られ、大人や子供たちがのぞき込んでいたということです。明治1、2年の時です。それまで尊王攘夷と叫んでいて動乱の時期であったのに、何という様変わりでしょう。南蛮人など恐れているとか、敵対しているとかという状況ではありません。

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