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およそ3000人近くのドイツ人が戦時下日本にいたようです。現在でも4000人くらいしかドイツ人は日本にいないのですから、結構多く居たということになります。我々日本人には白人ということはわかりますが、その白人にもいろいろな種別があるということなどわかりません。ドイツ系ユダヤ人と言われても区別などつきません。追撃されたアメリカのB29の搭乗員だと思われて、同盟国であるドイツ人も危害を加われそうになったこともありました。文豪トーマス・マンの義理の兄・クラウス・プリングスハイムはユダヤ人ですが、日本では音楽大学の教授として働いていました。ナチスのいう純粋ゲルマン人などといわれてもどれが純粋かわかりはしません。ドイツ本国から職を解けという圧力がありましたが、「仙台の大学の学長」は無視し、彼を雇い続けています。ゾルゲ事件が起こってから、ドイツ人も同盟国でありながら、監視が強くなります。ポーランドで無道のことをやってきたナチスの将校・マイジンガーが大使として赴任してくると、日本の特高とつるんでますます締め付けが強くなっていきます。マイジンガーは「ワルシャワの殺人鬼」と呼ばれた人物です。戦後彼はポーランドへ移送され、46年に絞首刑になっています。
上田たちは日本に住んでいたドイツ人に話を聞きまわっていますが、いまから70年から80年前のことで、証言者の年齢も高齢で、タイムリミットぎりぎりで、この本(2003年出版)が出来る間に、つぎつきと亡くなっています。歴史の表舞台には立たないが、ささやかな庶民の暮らしを丹念に掘り下げることも歴史研究の一大テーマになりうるということがわかります。