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「ハリマオ、ハリマオ」と勇壮に歌うテレビドラマがありました。怪傑・ハリマオという主人公に実在のモデルがいたそうです。マレーシアのクアラトレンガヌに移住した谷理髪店の息子で谷豊です。満州事変に激怒した中国人に襲われ、谷豊の妹が殺されます。一旦故郷の九州に戻りますが、再び谷豊は単独でクアラトレンガヌに帰ります。そこで子供時代につるんで遊んでいたマレー人と組んで「盗賊の首領」になります。街のチンピラだったのです。それが第二次世界大戦がはじまって、日本軍がマレーにもやってきます。防諜の藤原機関に拾われ、マレー人、中国人、インド人などの懐柔にあたります。マレーシア語ができていたのですから、それぞれの内部情報を藤原機関に報告していたのでしょう。谷豊は日本敗戦3年前、シンガポールの陸軍病院でマラリアで30歳で死んでいます。もし谷豊が敗戦後も生き残っていたら、B級戦犯として絞死刑で殺されていたでしょう。長く生きればいいというものではありません。手厚く看護されて死ぬほうが、吊るされて殺されるよりは幸せです。
アジアに残る日本人町は何かしら戦争と関係しています。韓国では日本人町を観光資源していこうという傾向もあります。反日教育は盛んですが、現代の韓国の若者は九龍浦の日本家屋をパシャパシャと携帯で写真を撮っています。中国の上海や大連では日本が作った建物をそのまま利用しています。若い中国人はこれらの建物を日本人がつくったものであると気づかない人が多い。北朝鮮と中国をつなぐ鴨緑江大橋は日本人が作ったものですが、中国人は偉大な共産党が作ったものだと確信しているようです。