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ブッタも孔子もソクラテスもキリストも自らは記すことはなかったが、弟子たちがその言動を書き連ね、年代を経ることによってますます難しくなっていくようです。ブッタの教えもはじめは「口承で詩的な形」で伝えられていましたが、紀元前後に文字によってまとめられていきます。このスッタニパータは口承時代の形を色濃く残したもので、ブッタの言ったこと行ったことなどを詩の形式で叙述しています。難しい仏教語など出ていません。要は欲望を抑え、淡々と生きていくこと唱えています。「十二因縁」などの難しい用語など出ていません。
「青春を過ぎた男が
ティンパル果のように盛り上がった乳房の若い女をものにし
嫉妬から夜も眠れない
これは破滅への門である」
この文言はビートたけしに進呈したい。
「性交渉を断ち
若い女性に心惹かれず
驕りと怠惰から遠ざかり、束縛から解き放たれた人
賢者は、かれを聖者と知る」
こんなこと、できなっこないという人は仏教徒の資格はない。
「愚か者は酔いのために悪事を働き
他人に悪事を働かされる
この禍の起こる源を避けよ
愚か者から愛好され
人を狂わせる酒を避けよ」
居酒屋などやるべきではない。
「人は自分がどこからやって来て
どこへ行くのかを知らず
両端を見極めることが出来ず
いたずらに嘆き悲しむ」
どこから来てどこかに行くというフレーズはイギリスの詩人の作品の中にもある。ブッタのほうが古いのでパクリであろう。
「生まれによってバラモンではなく
生まれによってバラモンでない者なのではない
行いによってバラモンになり
行いによってバラモンでない者となるのである」
どんな地位の高い者であっても、野々村議員のように大泣きするようではたかが知れている。