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関が原の合戦で負けた武将や、勝利しても平和になって職を失った武士がバンコクに多く渡って用心棒になっています。山田長政を中心として、アユタヤに日本人街が出来上がります。800人とも2000人とも言われています。隣国のビルマと戦っています。戦闘のプロですから、よく戦い、山田長政は王家の女性をあてがわれ、アユタヤ国の重要人物になります。現在もタイには日本人街ができています。傭兵ではありません。日本の円とタイのバーツの価格差を利用し、到底日本では生活できない収入でもタイではまあまあの生活が出来ます。若者はタイを引きこもりの場所と考えているようです。定年退職者は少ない年金で悠々自適の生活をしているようです。日本食のレストランもコンビニもあり、食べ物もそんなに困りません。
薩摩焼酎は沖縄の泡盛からきていて、この泡盛はもともとタイの「ラオカーオ」という蒸留酒から影響を受けています。このように遠く離れていても、日本とタイは因縁が深いと思われます。山田長政の子孫もタイ人として、同時に日本人のDNAも受け継いで、ときにはタイ人の顔を見るとまさしく親戚のあの人とそっくりだと思うことしばしばでありましょう。