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1969年(昭和44年)千田町の広島大学バリケードの中で吉田拓郎は「イメージの詩」を歌っています。「古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう」というアルバムのなかの一曲です。そろそろ学園闘争が収束に向かっていた時期です。我々団塊の世代の一部が紅衛兵になっていた時期です。「造反有理」などと書いた立て看板が大学の門バリケードの前に鉄線でくくりつけられていたものです。機動隊の放水車でこれらのバリケードが解体され、1970年には赤軍派がよど号を乗っ取り、北朝鮮に向かいます。やがてフォークソングの世界では「イチゴ白書」がはやり、「僕は無精ひげと髪を伸ばして、学生集会へも時々出かけた、就職が決まって髪を切ってきた時、もう若くはないさと、君に言い訳したね・・・」との歌詞どおり、有名大学坊ちゃんお嬢ちゃんはそれぞれいい会社へ、そうでない大学はそれなりの就職先を見つけて働き出します。吉田拓郎も反体制のイメージを維持しながら、演歌の森進一に「襟裳岬」を進呈してレコード大賞までとっています。40年経ったいま、二人はガンに罹病しています。もはや激しく歌うこともできないでしょう。でも私にはあの若々しい森進一の姿や、ジーパン姿で授賞式にあらわれた吉田拓郎をはっきりと思い出すことが出来ます。月並みだけど年月はあっという間に過ぎてしまう。40年でも一瞬だ。玉手箱を開けた浦島太郎のように、わけもわからないうちに老人になってしまった。「僕の髪が肩までのびて、君と同じになったら、約束どおり町の教会で、結婚しようよ・・・」このような歌詞は気恥ずかしくて、もう歌えない。