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コペルニクスからそれ以降の天文学者によって、地球は宇宙の中心でないことがわかり、天の川銀河の端でさまようありふれた恒星の周りをまわる、これもありふれた惑星のひとつであるということがわかりました。そうなると人間は神から選ばれて存在するものではなく、宇宙の無数の星の周りを回る惑星には人間以上に文化の進んだ知的生物がいるのではないかと想像されます。神さえいてもいなくてもどうでもいいような存在になってきました。
ところが宇宙開闢以来人間が生まれるまでの過程を考えると、まるで人間を誕生させるように、宇宙は「絶妙」な数値で成り立っていることがわかりました。
「この宇宙を支配する物理法則があたかも生命、認識主体となる人類を生むように、都合よく微調整されている」
宇宙は人間に知られることを望んでいるかのようです。人間がいないと宇宙はあってもないと等しいものです。知的生物がいないと、宇宙は観客のいない演劇をやっているようなものです。宇宙は人間に見られたがっている。だから宇宙は奇跡の連続の数値を打ち出して、人間が生まれるように「微調整」してきたのだと。これを「人間原理」という物理学の新しい考え方です。振り出しに戻って、また人間こそが宇宙の中心となったのです。人間が宇宙の存在を認識できるから宇宙はあるということになります。宇宙も寂しさに耐えられないのでしょう。
ブラックホールがあります。私が思うに、我々の宇宙の傍らに別の宇宙があって、ブラックホールを介して別の宇宙とつながっているのではないかと。膜宇宙という考え方もあります。膜宇宙の接触はまるで男と女ように寂しさから「ホール」を通してつながっているのではないかと思われます。