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読書

保苅瑞穂 モンテーニュの書斎 「エセー」を読む


         読書という「暇つぶし」について、

「学芸の女神ミューズをただの慰めと暇つぶしでもするように使うのは学芸の女神を汚すものだという人物がいるとしたら、その人は、私のように、愉しみと、慰めと、暇つぶしがどんなに値打ちがあるかということを知らないのだ。ほかの目的なんかはすべて笑止千万といってやりたいくらいである。私はその日その日を暮らしている。そして憚りながら、私は私のためにだけ生きている。私の意図はそこに尽きている。私は、若い頃は、見せびらかすために勉強した。その後は偉くなるために少し勉強した。今は愉しむためにやっている。金を儲けるためにやったことは一度だってない」と、書いています。

モンテーニュは広い農園を持つ領主ですから、経済的には何ら心配はないようです。ラテン語で書かれた古典を塔の書斎で読んでいたのでしょう。私はというと、この歳になっても働かないといけない「下流老人」ですから、同じ暇つぶしとしての読書を趣味にしても、品が違います。モンテーニュはラテン語の古典で、私はAV監督の書き散らしたものなどで、高尚さが違いすぎます。同じ暇つぶしとして私には将棋がありますが、モンテーニュはチェスやトランプについて、これらにのめりこむと莫大な時間を消費してしまい、本来やるべきことが出来なくなってしまうということで避けています。モンテーニュの蔵書は千冊といわれていますが、「タイトルとしてはせいぜい260ないし270冊程度」で、それらを暗誦するくらい読み込んだといえそうです。モンテーニュが書斎にこもったというのは当時の社会状況によるものもあったかもしれません。宗教対立があり、今のミヤンマーのロヒンギャ状態と変わりない社会情勢であったのです。老いることにかこつけてこのようなことも書いています。

「老衰は孤独でいるべき性質のものである。私は極端なくらいに社交好きである。しかしこれからは私の目障りな姿を世間の目から隠し、わたし一人で抱えてやって、亀のように自分の殻の中に閉じこもり、引きこもるのが道理のように思われる。私は世の人々にしがみつかずに彼らを眺めることを学んでいる。こんな切り立った山道でそこまでしては行き過ぎというものだろう。いまはもう仲間たち背を向けるときなのだ」

ソクラテスとアレクサンドロスとを比較して、ソクラテスの生きたに軍配を上げています。

「(アレクサンドロス)にあなたに何ができるのかと尋ねると、世界を征服することだと答えるであろう。(ソクラテス)に同じことを尋ねると、人間の生活をその自然な条件に従って導くことができると答えるだろう。このほうがはるかに普遍的で、いっそう骨の折れる、いっそう正当な学問である。魂の価値は高く行くことではなく規則正しく行なうことである。魂の偉大さは偉大さの中ではなく、中庸のなかで発揮される」

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