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この前読んだ中に映画における駅か鉄道かというものがありました。人が集まったり離散したりするところはドラマが生まれやすいということになります。人類がアフリカ大陸を出たのが今から、6,7万年前だといわれています。日本に流れ着いたのは1万5000年前だそうです。地球上をテクテク歩いてきたのです。今では飛行機で1日あれば世界一周できるのではないでしょうか。鉄道でもリニアになれば広島から東京まで1時間ちょっとで行けます。明治時代や大正、昭和の時代の「旅は道連れ」といった情緒はなくなるでしょう。明治時代ですら正岡子規はこのような感慨をもらしています。
「まことや鉄道の線は地皮を縫い電信な網は空中に張るの今日椎の葉草の枕は空しく旅路の枕詞に残りて和歌の嘘とはなりけらし。されば行く者悲しまず送る者嘆かず。旅人は羨まれて留まる者は自ら恨む。奥羽北越の遠きは昔の書にいひふるして今は近きたとえにや取らん」
それでも正岡子規は何日もかけて汽車で、徒歩で、人力車で東北地方を回っています。知り合いのところに泊まったり、温泉に入ったりしています。何人もの人と係わり合いができています。しかしたった1時間ちょっとで東京に行ける時代だと、単に用事を済ませるだけといった感じになり、俳句の一句すら詠めなくなるでしょう。もはや鉄道は「文学」を喚起させるようなものではなくなります。車寅次郎が寂れた駅にブラリと現れるといったシーンはこれからは注釈や解説が必要になってくることでしょう。