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読書

大庭さち子 李朝悲史


        大庭自身も「面白くない小説」と言っています。多くの資料を読まないといけないので、疲労困憊している様子が見て取れます。李朝末期、日本が朝鮮併合するまでの歴史小説です。何といっても大妃「閔氏」と舅の興宣大院君の対立と、二人の間で右往左往する頼りない王「高宗」が絡む物語です。日本の「浪人たち」に殺された閔氏をヒロインにして書きたかったのでしょうが、朝鮮人貴族の悪癖を鮮明に持った人物で、国民など頭にはなく、贅沢三昧で、門閥政治にたけているだけで、朝鮮を近代化しようという気はこれぽっちもなかった王妃です。そうはいっても14世紀から
       20世紀まで続いた李朝政権はモンゴルや中国から何度も蹂躙された国であります。その都度朝鮮の王は叩頭して、地に這い蹲り、毎年の貢物を約束し、李朝の存続を願っていたのです。このようなことから朝鮮人の性格が形成されていきます。強い者にはえらく卑屈になりますが、弱いと見られたものにはえらく尊大に振舞います。中国が父なら、朝鮮はその長男だと思い、明治維新頃の日本など、取るに足らない蛮族だという態度をとり、明治政府が政体が変わったという知らせを送っても無視した態度をとっていました。これによって西郷隆盛などが征韓国論を打ち出しますが、時期尚早ということで、じっとこの無礼を耐えます。やがて日本は近代化できて、朝鮮に乗り込むと、閔氏、舅、息子、三者三様、清についたり、ロシアについたり、日本についたり、節操もなく、その当時最も強いと思われる国を頼りにして、コロコロ政策を変えてしまうのです。つい最近の前大統領パクウネの悪口外交などまさしく李朝の政治姿勢です。いくら条約を結んでもいつも反故するのはこの国の習性です。これらは朝鮮上層部の、ねじれた性格ですが、朝鮮民衆は「アリラン」に象徴されるように、欲深い両班にたいして諦めの気持ちを歌っているようです。

「この歌がいつの頃から歌われ始めたかは、はっきりしないが、李朝の半ば頃から民衆の間にひろまったものらしく、哀調をおびたふしまわしには、人の心にしみいるものがあった。歌の意味もまた身の安全を願うなら、余計なことに口出して目を付けられないほうがいい。出る杭は打たれるのだ、そのためには聾唖(アリラン)になれといっているのだ」
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