忍者ブログ

読書

大野芳 吉田兼好とは誰だったのか

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。

大野芳 吉田兼好とは誰だったのか


        吉田兼好は堀川家の「事務員」のような仕事をし、堀川家の当時の家長は具親で、24歳、皇太子が住む東宮で、権大夫になっています。吉田兼好は35歳で、具親の教育係のようなものでもありました。この具親が後醍醐天皇の女官を盗んで隠してしまいます。これで具親は罷免され官職を剥奪されます。謹慎した具親を慰めるために、と同時に説諭するために徒然草を書いたということです。この時代は戦乱の時であり、南北朝で天皇家が二つに分かれ、政治的に不安定な時代でした。具親は余り派手な活躍をしないことで、もとの地位まで回復しています。吉田兼好も和歌の世界で勅撰する立場にまでなっています。具親は46歳で突然剃髪します。息子も亡くなり、仕事の意欲もなくなったのでしょう。吉田兼好は74歳まで生きています。この本である学者が徒然草は文学かと疑問を呈していることを紹介しています。世界でも古い随筆ではないかと思いますが、中には現代の週刊誌でも取り扱うようなゴシップ譚もあります。グリコのおまけのミニ玩具のように、当時安っぽいものでも何十年もたつと希少価値が上がり何万円もするように、900年前のゴシップも今から見ると何十年経った後のグリコのミニおもちゃのように見えるのでしょう。

PR

コメント

プロフィール

HN:
No Name Ninja
性別:
非公開

カテゴリー

P R