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私が中学生の頃、学校の図書館で日本歴史写真集という大判の本があり、その中に白蓮が載っていました。私が色気づいた頃ですから、この美人ぶりに見とれていたものです。その次のページくらいには関東大震災の写真があり、焼け焦げた死体や、朝鮮人の虐殺の絵もあり、亀戸事件で憲兵によって殺された社会主義者の死体も載っていました。ここで私は歴史とは美と醜悪の織り混ぜであると気づきました。とはいってもこの美人にも「醜悪」なところがないとはいえません。しかし美しい女は得をすることが多い。この本の前書きで瀬戸内寂聴も言っています。
「貫けば不倫も純愛」
当時の世相として、やはり白蓮に味方するものがおおく、ヤクザ上がりの成金炭坑王伊藤伝右衛門には、教養も学歴もないものが華族の姫を娶るなど恐れ多いと非難されています。初老のオヤジが25歳も年下の美人をもらったというのも世間ではおもしろくなかったのでしょう。伊藤伝右衛門にしてみれば、婚家に何千万円の結納金を納め、福岡の飯塚市に大邸宅を建て白蓮を向かえ、何一つ不自由のない生活をさしていたのですが、一介の東大生に奪われたというのは何とも腹の立つことだったと思われます。一介の学生と言っても、孫文を助けた宮崎滔天の息子であり、不倫の二人が伊藤伝右衛門抱えのヤクザの刺客に襲われなかったのは宮崎滔天の無言の力があったからこそといえます。この不倫騒ぎにより、伊藤伝右衛門の結納金で貴族院に当選した異母兄の柳原義光が引責辞任しています。
伊藤伝右衛門は「絶縁状を読みて燁子に与ふ」でこう書いています。
「お前が人の妻としての資格のある女であるかどうかということを、まあお前の愛人に試験してもらったがよかろう。俺は、それでも楽しみにして眺めていよう」
残念ながら伊藤伝右衛門のいうように「妻としての資格のある女」ではないということではなく、二人の子供を作り、いい夫婦関係を築いていたようです。