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今柊二は食べ物屋の評論家として安定的な位置についたようです。はじめは出身校の横浜大学の学食や近所の定食屋の料理を取材していました。定食など文学にも学問の対象にもならないと思っていたものが、彼の取り上げによって、一気にこの定食なるものがスポットライトに当たるようなものになりました。そうは言っても、これに関心を持つ人は少ないでしょう。しかし日本全国では一定度の人数はいます。目ざとい出版社がこれを見逃すことはありません。この手の本を作ればある一定の数の本が売れるのですから。今柊二は出版社にとって、手堅いライターということになります。ベストセラー本にはならないが、計算ができる著者ということで、昨今のこの業界の不況のなかでなかなか重宝なライターであるのです。
1970年代がファミリーレストランの創成期で、その当時、家族で一緒にファミリーレストランで食事するというのは、「ハレ」の気分であったという説明しています。家族の絆を確かめる高揚した気分になれたのでしょう。ところが1990年代になると、これらの家族が変質していることに気づきます。
「かつての家族とは異なっていることに気がついた。その最たる特徴はだらしがないというか、緊張感のなさであった」
ファミリーレストランはこの頃は「ハレ」の場所ではなくなり、「日常の食卓」延長である「ケ」の場所に成り下がったということになるそうです。バブルがはじけ、格差がひらき、デフレも始まり、中流階級は幻想だったと気づき、一億総貧乏という思いに至った時代になったという状況です。彼の言い草では「しみったれ家族・平成新貧乏」ということになります。
最近では立ち食いフレンチとか、イタリアンとか、立ち食いをコンセプトした店が多く出ていますが、かつてほどの盛況さはないようです。人の好みはコロコロと変わっていき、それに追随していくことは至難の業です。私もこの業界の一人ですが、激流の流行に流されることなく、日々、今では家族ではめったに食せないかぼちゃなど煮ていて、結局自分の夕食を作っているようなものです。