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読書

宮脇淳子 倉山満 真実の朝鮮史


        宮脇淳子と倉山満が一緒になって、韓国の歴史認識の欺瞞を累々と述べています。高句麗広開土王碑で、「倭は辛卯(391)年もって来たりて海を渡り、百残(百済)新羅を破り、もって臣民となす」とか、400年には新羅を攻め、高句麗軍が救援を送ったとか、404年には帯方郡まで来て、高句麗軍が倭軍を破ったと記されている碑です。韓国ははやくから、日本に打ち破られたことに我慢できなく、反対に高句麗軍が日本まで攻め込んだというふうに曲解します。とうとうこの碑を埋め、洪水で流され不明になりましたが、中国にこの碑の拓本が残っていて、日本の言うことが正しかったことがわかります。

碑では「三田渡碑」もあります。これは1639年に清朝が朝鮮に建てたものです。明に頼って清に見向きもしなかったので、清に攻められ、当時の朝鮮王・仁祖が漢江の三田渡に陣地を構えていた清に許しを請いに行ったことを記録しています。これも日清戦争で清が破れるとさっそくこの碑を埋めてしまいます。朝鮮合併後掘り出しましたが、日本がアメリカに負けると、李承晩はまた埋め戻します。韓国では都合の悪いことはこのように埋めてしまって証拠をなくすようなことをしています。

いまは日本の歴史教科書には「任那日本府」というものがなくなっているようです。478年には倭王武(雄略天皇)が宋から朝鮮半島の支配者であるとの称号を受けています。しかし東京裁判以降、日本は贖罪意識を持たされ、他国を侵略することは恥ずかしいと思わされて、「任那日本府」も教科書から消え去ったのかもしれません。

ゲッペルスの言葉に「嘘も百回繰り返せば真実になる」とあるように、韓国は慰安婦と徴用工もこの先何万回も叫ぶでしょう。真実を埋めるだけしか能がない国民であると世界は早く気づいて欲しいものです。

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