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家近良樹 その後の慶喜

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家近良樹 その後の慶喜


    年表などを見ると、その時代が終わるとすべてが変わったように思われますが、人間は寿命がある限り時代を超えて生き続けているということがわかっていても、ついついもはや存在しないかのように見過ごされがちです。徳川慶喜もその一人で、大政奉還のときは三十ちょっとすぎで、その後四十年以上もいきています。死んだのは大正2年で76歳です。この期間慶喜は政治とは関係を断ち、狩猟、絵画、写真などの趣味に明け暮れています。静岡に幽閉されたようなものですが、それに対して文句も言わず、淡々とすごしています。逆賊の慶喜が生き延びられたのは幕臣の勝海舟のお陰ですが、その勝海舟が明治政府では爵を授けられ、慶喜の蟄居になにかと口やかましいことを言っていたそうで、慶喜の晩年歴史家が尋ねた折、勝海舟に対して嫌味を言っています。慶喜が生き延びられたことはすべて勝海舟のお陰ではないというようなことをもらしています。江戸時代から徳川家と宮家は通婚があり、親戚でもあったのです。徳川家に嫁いできた宮家の姫たちによって慶喜の助命の運動がなされたそうです。明治20年には慶喜も公爵を授けられ、名誉回復がなされました。慶喜は新し物が好きで、自転車を買って乗り回したのが静岡県で初めて、東京に帰ってきて、大正1年には外国の自動車を買って息子と一緒に乗り回しています。殿様でいるより一般人としてすごしてきた時の方が幸せだったと思われます。

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