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読書

小池龍之介 つながらない関係


        五官や経験から脳が業(カルマ)の集合体を作り出します。新しい経験をするとその業が解釈しそれをまたその集合体に取り込みます。それによって性格なるものが現れ、それが自分であると思ってしまいます。業なるものは脳の作り出した錯覚のようなものであり、実態はないのです。ブッタもその他の覚醒者も空だといって、そのようなものはなにもないと言っています。業が全ての悩みの源泉なのです。業は錯覚なのですから、悩みも錯覚に過ぎないのですが、人類誕生から集積された業の集合体はリアルな世界を形作っていますから、それが実体のないものであるとは思えないのです。この業の集合体は「概念的枠組み」(パラダイム)といえるでしょう。この枠組みがあってこそ、世の中のことを解釈できるような気になります。しかしこれも錯覚であり、確固たるものと思われたものもまるで煙のように飛散して、あとかたもなくなったことはたびたびです。で、人間の生き方はどうあるべきかを、菜根譚の洪自誠はこう述べています。

『小賢しい知識を手放してはさらにいっそう手放して、花を植え竹を植えるようにして日々を暮らし、すべてことごとく、「無」へと還っていく。余計なことは忘れきって、「もうこれ以上は忘れなきゃいけないものは残っていないぞ」という達成感すらも忘れはて、香をたきお茶を入れたりして日々を暮らし、他人がどうしてくれるとかくれないとかそんなことは、全く気にかけない』

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