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植木等は「サラリーマンは気楽な家業ときたもんだ、二日酔いでも寝ぼけていても、タイムレコーダーガチャンと押せば、どうにか格好がつくものさ、チョッコラチョイと、パアにはなりゃあしねえ、あっそれ」と歌っていました。日本の高度成長期のある面華やかさとおおらかさを感じさせる歌でした。ところが今このような社員は即刻首になるようです。
「サラリーマンは気楽な家業ときたもんだ、社長や部長にゃなれそうもないが、停年なんてまだ先のこと、競輪競馬にパチンコマージャン、負けりゃやけ酒また借金あっそれ」
停年までこの会社があればいいですが、知名度の高い会社でもいつどうなるかわからない時代になっています。
名の通った会社の正社員になるのも大変ですが、入ってからも「地獄」がまちかまえています。ブラック企業でなくても、利益追求のために過酷な労働を強いられているのが多いことだと思われます。養う妻子がいたら、野獣のように会社にたてつくことは出来ません。この本でもマイホームを買ったばかりの社員に遠方への転勤を命じています。借金まみれの社員は文句をいえないだろという魂胆です。
日本の会社ではどこもブラック企業になりやすい。驚いたことに資本家が積極的にそうしなくても、社員が資本家の意向を汲み取って、「サービス残業を強要し、滅私奉公押し付ける空気」を作り出します。資本家にとってこのように自分に都合のいい人間ができるかというのはすべて教育の賜物だということになります。
「日本人は一般的にガキの頃から優秀な家畜を目標として教育されてきている。まぁ平たく言えば、いい学校に入り、いい会社に入り、真面目に働いて出世する、ということだ。これが唯一の価値観で、他の価値観はすべてマイナーだ。当然起業家だのをめざす価値観は世の中から否定的に見られるから育たない。この唯一価値観に順応することが出来た者が日本のエリートなんだ。したがって、一流企業になればなるほど、経営者と従業員の価値観は同質化してきて、両者の違いはたんに優秀な家畜とそうでない家畜ということだけになる」
「優秀な家畜」と思われていたものが、今では日本の停滞を引き起こす元凶になっているようです。真面目でなくても破天荒な考え方をする人間はこの教育制度からはででこないようです。でたらめな人間ばかりになっても困りますが、「優秀な家畜」が自分の価値観しか認めない状況を作り出すと、それは結局パブスブルク家の末裔となり、奇形の障害が出てきます。もう一度この辺で、敗戦後のあの混乱の、人間のシャッフルの必要なことがきているような気がします。純粋培養生物は雑菌に弱いものです。今一度、土壌菌に晒し、それに打ち勝つようなものを残していかないと、日本の再生はないと、私は確信するものであります。