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将棋の米長が何時間も正座できない人は将棋が強くならないと常々言っていましたが、どうもこれは眉唾物で、強い人は正座ができようとできまいと強いに関わりなく、正座が出来ても弱い人はいます。升田などは胡坐をかいてタバコをスパスパ吸い、前のめりになったり、斜めになったりして盤面を見ていました。正座の概念ができたのは江戸時代で、それまでは胡坐をかいたり、立てひざすわりをしたり、正座もあったかもしれませんが、それが日本人の姿勢だとは思われていなかったようです。世の中が落ち着いて、武士が剣をもって殺しあうことがなくなり、儒教が広まりにつれて、正座が武士の魂を表現するものだということになったのでしょう。要は「格好」をつけたのです。これによって日本人に肩こりの歴史がはじまります。どうも日本人は合理性がなく、我慢比べが大好きで、自虐精神に富み、肩を張り、背筋を伸ばし、足の血行を阻害してしびれをきたし、内面ヒーヒーといいつつ、泰然自若を装うのが好きで、それを他人に押し付け、他人が苦しむのを眺めるのがまた大好きな国民ときています。
明治時代になると、軍隊による姿勢の正しさが強要されます。歩くにも背筋を伸ばし、ナチスや今の北朝鮮の軍の、足をまっすぐ伸ばし、高々と上げるほどのものではないのですが、長距離に歩けないような歩き方を教えています。
山下久明に言うところ、背筋を緊張させて立つものではなく、腹筋を使って立つのが人間には自然だということです。背すじを張ると、交感神経が刺激され、胸式呼吸になり、危機一髪のときは大いに効果を上げるが、このようなことを長く続けると、いろいろ齟齬をきたすようになります。腹筋で立つと副交感神経が刺激され、呼吸も腹式呼吸になり、気分もゆったりとしてきます。バランスが必要なのです。長時間、無理して肩肘張り、背中を伸ばす必要はありません。欧米人にはあまり肩こりがあるとはききません。儒教精神が蔓延する中国、韓国、日本に肩こりの症状があらわれ、ドラマでも肩を揉むシーンがでてきます。「格好」や「型」に溺れて、どうも中身などどうでもいいような世界観があるようです。