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岡田英弘 康熙帝の手紙

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岡田英弘 康熙帝の手紙


        モンゴル族は長子相続ではありません。康熙帝は三男の胤ち(示す偏に止と書きます)を皇太子にしていました。遠征中に康熙帝が皇太子に書いた手紙が数多く残っています。皇帝の書いた手紙は全て朱書きで、台湾の博物館に残っています。この時期は康熙帝と皇太子の仲は良かったのですが、後になって皇太子を廃止したり、また復元したりします。結局皇太子を決めないまま死んでしまいます。康熙帝の臨終に立ち会ったのはロンコドという大臣で、彼は康熙帝の四子胤禛があとを継ぐという遺書を発表します。ロンゴドは胤禛派に属していて、果たしてこの遺書が正しいものかどうかはわかりません。いずれにしてもこの四子の胤禛が雍正帝になるのです。

遠征中康熙帝はよく狩りをしています。その報告を手紙にも書いていて、康熙帝が長男や次男やら他の家来よりも多くのウサギを獲ったと自慢しています。多分みなが遠慮して康熙帝を喜ばすために多く取らしたのでしょう。

イエズス会の牧師が康熙帝に天文学を教え、この遠征中に北斗七星を観察し、北京と遠征した場所との距離を測っています。

「数学のように厳密な論理に従う学問の用語として、漢語は明晰でないゆえに、習得が難しかった。そこで康熙帝はジェルピヨンとプーヴェに西洋科学を進講させるために、満州語を習わせた。日本語、韓国語、モンゴル語のように豊富な語尾変化を持つ満州語は、論理をたどるのにむいているのである」

ある人は漢語が論理的で冗長さがないといい、岡田英弘が言うように膠着語(日本語、韓国語、モンゴル語)が論理的だという人もいます。それぞれの言語の思い入れによってそれらが決まるのでしょう。

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