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弥生的倭人のルーツは遠く上海近くで稲作をやっていた人たちで、漢族からは「東夷」とよばれ、春秋時代、呉の国の住民であったが、紀元前473年、南の越王・勾践煮よって滅ぼされ、陸伝いでは、北部に呉の敵である燕がいたため、船で朝鮮の中・南部に渡り、それらが日本にも流れ着いてきたというものです。稲作文化圏をつくり、注連縄とか鳥居といったものが、共通してあります。ところが朝鮮では戦乱難民であったものが稲作文化圏の辰国をつくったものも、狩猟や畑作民族である高句麗の一派・夫余によってできた百済によって滅ぼされます。その経過が神話によって証明されています。狩猟採集民族では、卵という動物性蛋白が注目されます。大きな「卵」から人間の子供が生まれでて、それが王になるという神話です。ところが稲作文化圏の日本では「水」が最大のテーマになります。イザナギとイザナミが天の橋に立ち矛で水をかき混ぜて、島々=日本国をつくったということになっています。タイヤベトナムでも中国で稲作をやっていた人々が戦乱にまみれて、移住したといわれています。タイ国での水祭りも、稲作と関係があるでしょう。岡山の裸祭りでも水をぶっかけられています。五穀豊穣を願う祭りでしょう。