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世の中どんなことでも学問の対象になることがわかります。ペットボトルの栓すら収集している好事家がいます。そのうち、ペットボトルの栓の歴史も書く人がでてくるでしょう。ましてや縄文時代から食べているアユですから、学問の対象にならないはずがありません。アユの骨は小さいからわかりませんが、アユを獲る籠などが遺跡として出て来ます。その頃は川の汚染などありませんから、さぞかし香ばしいアユが獲れたでしょう。アユは鮭と反対に、秋になると産卵のために川を下り、河口近くで産卵し、春になると遡上する魚です。稚魚や成魚を獲るにはいろいろなやり方があります。友釣りなどは江戸時代に考えられた極最近のものです。日本書紀には漁労禁止期間も定められて、当時からとりすぎの傾向があったのでしょう。また朝廷直属の漁労民もいて、天皇にアユを献上する民もいたようです。徳川時代では、鵜飼漁民は幕府のお墨付きを得ていたようです。時代を経るごとにいろいろな規制が加わって、一般のものがたやすくアユをとることができなくなってきます。現在ではその川を管理する漁業組合にお金を払わないと、釣りができない仕組みになっています。
私が小学生の時、京橋川で魚の餌である「ごかい」をとってはいけないといわれ、小学生ながら、なんと理不尽なことかと思ったことがありました。