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川田稔 浜口雄幸

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川田稔 浜口雄幸


    昭和
5年浜口雄幸は東京駅で狙撃され重態になります。一旦は回復しますが翌年の9月に亡くなっています。浜口雄幸がなくなった後、日本は大きく軍国に傾き、中国戦線を拡大し、アメリカとの戦争にまでなります。浜口雄幸が狙撃されないで内閣を続けていたら太平洋戦争も起こらなかったのではないかと思われます。第一次世界大戦の教訓から、今からの戦争は総力戦になり、産業、特に重工業の発展がないと勝ことが出来ないと浜口雄幸も軍政局の永田も知っていました。そのために浜口雄幸は欧米と軍艦の割合も7割で妥協し、中国にも今までの既得権益は守るが、新たに進出しないという方針を表出しています。当時の日本の輸出製品は繊維製品だけで、鉄等の産出量はアメリカの30分の一にすぎません。おまけに鉱物資源もないし石油など全て輸入です。これで戦争に勝とうとは気違い沙汰です。浜口雄幸の考え方は中国も国を統一してもらってお互い貿易によっていい関係を作くろうというものです。欧米も排除しないで、中国市場を平等に開発しようとするものです。一方の永田は戦争は回避できるものではなく、必然的に起こるもので、そのためには満州国を日本のもととし、そこから原料を調達し、日本国民には国家総動員体制を作り、欧米との最終戦争に備えるという考え方です。永田は軍政局で切り殺されますが、東条英機に引き継がれて結局浜口雄幸とは反対の方向に進み、日本の破局になりました。

軍人は軍の専門家かもしれませんが、これが政治も兼ねるようになったら危ういことであるということはこの第二次世界大戦でよくわかります。今ではありえないと思いますが、浜口雄幸の軍縮条約を締結したことを、統帥権干犯だと騒ぎ出し天皇まで持ち出した軍部のやり方はやりすぎだと思われます。いま総裁選の真っ最中ですが、世界の情勢をしっかりと見据えた政治家が総裁になってほしいものです。

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