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昭和は戦前と戦後の別れ、我々団塊世代は物心ついた昭和30年頃から4,45年の、青年期を過ぎ、大人になった期間が、今この歳になって、最も懐かしく思われます。写真集を見ると、広島駅のすさまじい変わりようが目につきます。私たちの頃はまだ木造の駅舎だったのです。東京に行くのは寝台車「安芸号」があって、私の記憶では翌日の早朝に到着した気がします。宇品線もあって、悪がきどもが竹や小石をレールの上においてそれが「ひしゃげる」のをよく見ていました。機関士が大声で怒り飛ばしていましたが、悪がきどもはニヤニヤ笑っていました。小さい頃はいのこさん祭りが面白く朝早く起き、鬼面をかぶり棒をもって街々を練り歩き、自分より小さい子を脅しまくっていました。後でお菓子やぜんざいを振舞われ、こんな楽しいことはないと思っていました。学校にプールがないものですから、川でみんな泳いでいました。海水パンツをはいているのは金持の息子で、我々貧乏人は「金つり」といっていた、今で言うところの「Tパンツ」、黒色の三角形の布地に紐を付けたものをはくか、それか「フルチン」つまり素っ裸で泳いでいました。川の中には飛び込み台も作られていましたが、我々勇気あるものは橋の上から飛び込んでいました。あれから60年、今や風呂の入るのも溺れるのではないかと心配しています。
この写真集で気づいたのですが、戦前と戦後の大人たちの顔つきが変化しているようです。戦前はごつごつして、何かしら先住民という感じですが、戦後はそれなりに文明人らしき顔になっています。栄養が良くなったということでしょう。