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松川節 モンゴル歴史紀行

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松川節 モンゴル歴史紀行


       モンゴルと言えばまず相撲です。モンゴル力士は日本人力士を蹴散らしています。元寇で日本が征服されなかったのは、たまたま運がよかったというのがわかります。台風がなければ火薬や騎馬戦によって日本は蹂躙されているでしょう。馬乳酒、乳製品、それらに付随する乳酸菌のお陰で、モンゴル人は日本人よりは強靭な肉体を作っているのでしょう。とはいえ日本人も幾分かはモンゴルの遺伝子も残っているはずで、朝青龍や白鵬などを見ても、そのような顔立ちは日本人にも見受けられます。遠い親戚筋に当たるのではないかと思われます。
You Tubeでモンゴルの音楽のミュージックビデオを見たとき、懐かしい気持ちにされました。草原に疾走する馬や、浪花節の唸るような発声法は私の琴線をブルブル震わしてくれます。私の父も中国戦線で通信兵として行っていました。モンゴル馬を徴収して、通信機を運んでいました。ときたまモンゴル馬に乗って駆けっこをしていたという思い出話をしていました。普通より少し小さい馬であったが、粘り強く頑固な一面もあったと言っていました。私もいまだに経済的理由とはいえ50ccのバイクを乗っています。四つ車より二輪車のほうが性に合っているのでしょう。時代をたがえ、もし私がモンゴルにいたとすると、私は草原で馬を駆っていることでしょう。大地を蹴るひづめを模したリズミカルな旋律を胸に抱きながら、馬に乗って刀をヒラヒラさせて敵陣に向かっていく自分を想像してしまいます。今衛星からチンギス・ハンの墓を見つけようとしています。モンゴルの家は移動可能なテントのようなものですから、ハンの墓も秦の始皇帝のような大規模なものではなく、大帝国の割には小規模な墓ではないかと想像されます。チベット宗教の影響で葬式も鳥葬で、荒野に死体を置き鳥や獣に処理を託しています。モンゴル人の傾向として、たとえチベット仏教の影響があるとはいえ、長く遊牧を生業にしてきたので、死んだ後のことより、今現在青草の育っているところへ行くという現在志向が強いので、墓にエネルギーを注ぐといった傾向はないように思われます。

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