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この本は2014年6月9日に読んで感想をアップしています。私もボケがだいぶん回っているようです。初めて読んだ気でいました。念のため柏木博で自分のコンピュータ内を検索したところ、同じ本があったとわかりました。主に漱石、荷風、寺田寅彦、それに石川啄木をちょっと、感想を書いています。
この本では他に内田百閒、宮沢賢治、北原白秋などが載っています。宮沢賢治については住んだ家のことなど書いていておらず、彼が書き残した花壇の設計図について述べています。
内田百閒は漱石に師事し、漱石の万年筆を遺品としてもらいましたが、漱石の長女筆子と結婚した松岡譲が大嫌いであったらしく、「下手な太鼓持ち猿丸みんなして先生が死後に残した書斎の清気を濁してしまった。まあ勝手にするがいい。ともかく彼らがいる時に先生の書斎を見るのは不愉快だから、もう行くまい」と書き残しています。筆子については久米正雄も好きになり、松岡譲と犬猿の仲になっています。
内田百閒は空襲で家を焼かれ、松本男爵邸の庭にあった3畳の掘っ立て小屋に住みます。トイレは裏のほうに穴を掘って済ましていました。ここに3年間も住んでいました。このようなことを知るとたとえ地震が起こって家が倒れようが、小屋でもあれば生きていけるのだと思えば、気が楽になります。内田百閒も空襲で何もかも焼かれ、清々とした気分になっています。
北原白秋は生涯40回もの引越しをしています。おまけに嫁さんを3度も変えています。落ち着いたのは小田原の「木兎(みみずく)の家」ですが、これも関東大震災で歪んでしまいましたが、それでもそこに当分の間すんでいました。北原白秋は石川啄木と違って、童謡が当たり、徐々に裕福になって行きます。裕福になるといいものも食べ長生きします。貧乏であった啄木は26歳で死んでいます。そうは言っても白秋は60前で死んでいますが、漱石は49歳で死んでいます。60まで生きたということは当時では長生きの部類だったと思われます。