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栗原康 はたらかないでたらふく食べたい

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栗原康 はたらかないでたらふく食べたい


    30歳過ぎても親の年金に頼って生活しています。大学の非常勤講師をやっていますが年間80万円くらいしかなりません。公務員の女性と結婚して、そのヒモになろうとしましたが、3万円の婚約指輪を返されました。働かないですきなことをやっていきたいというのを見透かされたのです。彼女からもらった腕時計は返すことなくいまだに彼の腕に巻かれています。常識人から見るとまったくな情けない男です。大学院まで出てこのテイタラクでは親はたまらんでしょう。自分の国民年金の費用を親の年金から引かれて、その日を境にして、親子の食卓は非常に貧しいものになったと記しています。泥棒も三分の理ありというものがありますが、彼もプータロウの理屈をこねています。人間は本来好きなことをやっていくことが正しいことで、それをやるためにカネをもうけ、余裕ができてそれが出来るという考えがそもそも間違いで、嫌な仕事をしているうちに本来の好きなことができなくなるのだと言っています。結婚して家庭を築き家を建て、そのために好きでもない仕事をするというのは本末転倒なことで、これこそ「生の負債」を増やし、つまりショッピングモールでいろいろなものを買うというのが幸せと思い込まされているのが現代の病理であり、それら商品を買うためにしたくもない仕事をしているのだということです。彼のようにその日に飲めるビールがあり、本があれば何もいらないという慎ましい生活をすればそんなに稼ぐ必要もないということですが、親が死んで年金がなくなると彼はどうするのでしょうか?生活保護受給者になるしかありません。このような考え方が増えると、嫌な仕事をして税金を払っている、「本末転倒」な人々はやる気がなくなるでしょう。国民全体が生活保護者になるとこの国は立ち行かなくなります。しかし生物界の原理では通常2割がぶらぶらしているそうです。蟻でもミツバチでもその構成員の2割が栗原康なのです。社会性を維持するためには全員がフル活動していては脆弱性を帯びます。2割くらいがぶらぶらしている方が何か問題が起こったときにその社会はよく機能するということです。中国であった食客は平生ただ飯を食っているだけですが、いざ主人に問題が起こると身を挺して問題解決にあたるということが歴史に刻まれています。栗原康ももし日本が国難にあったとき、身を挺して壊れた原子炉に入っていく人かもしれません。

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