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横山宏章 長崎唐人屋敷の謎

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横山宏章 長崎唐人屋敷の謎


         異民族の清朝に支配された中国人は買春のために長崎に危険を犯してやってきました。明代には中国にも遊女がいたのですが、清朝になって禁止されます。カネがあって閑を持て余している金持が日本に海路はるばるやってきたということです。

「快楽は 命もなんのその 千里飛ぶ」(正笑)

唐船はこのような酔狂な金持を運んでいたばかりではなく、砂糖、絹糸、書籍などを運んでいました。日本からは銅を持ち帰っていました。銅銭鋳造のために日本の銅が必要だったのです。いくら中国は広いとはいえ、銅は中国ではあまり産出されていません。この当時日本が銅の産出では世界一だそうです。

南蛮船も来ていましたが、オランダ人の彼らは日本の小判・即ち金を目当てにやってきています。当時日本と中国とでは銀で決済していましたから、金は銀よりも価値が下だったのです。金の流出で幕府は小判の金の含有量を少なくします。もちろん文句が出ました。

長崎の唐人屋敷と同じように、朝鮮の釜山にもこれと似た「倭館」というものがありました。豊臣の朝鮮出兵のことを教訓に、日本人の朝鮮での自由な行動を規制して、倭館に閉じ込めていたのです。日本では遊女は唐人屋敷に行き、商売が出来ました。ところが朝鮮ではそれらが一切禁止されていました。ところが倭館で朝鮮人の女を入れて一緒に住んでいるのがわかって、大問題になります。倭館ではこの日本人をこっそり日本に帰しましたが、朝鮮の女はその後捕まり、首を切られ晒されています。

そうかといって日本の遊女も唐人や南蛮人を好き好んで行ったわけではありません。日本人相手の遊女が一番位が高く、つぎに唐人、最後が南蛮人(オランダ人)となります。唐人はよく遊女に砂糖とか、飾り物とかを与えていたそうです。唐人屋敷を出るときには番所で検査があります。密貿易の禁止です。川柳で「丸山に珊瑚珠を生む女あり」というものがあります。遊女が贈り物の珊瑚珠をあそこに隠し持って出ようとしたのです。やることは今も昔もかわりありません。麻薬密貿易も同じことをやっているでしょう。

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