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昭和3年から昭和六年までの日記と銃で撃たれ療養中に書いた随感録との合冊です。昭和四年田中義一内閣は張作霖爆死で天皇から譴責を受け、それで浜口が内閣を作ります。昭和五年11月東京駅で狙撃され、一命を取り留めましたが、翌年の八月に亡くなっています。浜口雄幸の最大の仕事はロンドン会議での海軍軍縮条約の締結です。世界平和を願っていた浜口ですが、事態は刻一刻軍部の歯止めがきかなくなり、中国で勝手に事変を起こしたりし、これが結局アメリカとの戦争になるのです。この日記を見ると毎日多くの人と会っています。政治家とは人とあうことだということがわかります。安倍首相が病気で倒れたというのもうなずけられます。人に会うだけでもストレスです。それも難しい問題を持ち込んでくる人が多いのですから、普通の人では勤まらないでしょう。浜口雄幸は自分でも無趣味だといい、大蔵時代、政党の幹事長、内閣総理と仕事に没頭しています。妾や愛人も作っていないようです。無粋ですからそのような色事には縁がなかったのでしょう。東大の学生のときは養子先の娘と結婚していました。現在の国会内では院内淫事が多いと聞きます。浜口雄幸を見習えといいたい気分です。浜口雄幸は読書についてもこう述べています。
「・・・判断力の萌芽すら未だにできていないうちに、名もなき者の著述を甲から乙へ、乙から兵へと、其の所取り、この所取り、抜き読み的多読乱読する傾向が大分見えるようである。これでは書物を読むにあらずして、書物に読まるるのであって、仮令万巻の書を読破すといえども、活社会に善処し、活事物を判断する上において、寸毫も益するところはないのである」
まったく仰せのとおりです。