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田家康 気候で読み解く人物列伝

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田家康 気候で読み解く人物列伝


    14世紀の新田義貞、16世紀の織田信長、8世紀の桓武天皇、10世紀の定子、18世紀の徳川吉宗、19世紀の井伊直弼の事跡とその当時の気候とドッキングさせています。江戸時代から寒冷期になり、たびたび飢饉が起こっています。吉宗のときの享保の大飢饉では備蓄米を放出してコメの価格を下げています。小判の鋳造をし直して、金の含有量を少なくし、財政の立て直しをしています。大阪のコメ市場をみとめ、世界で最も早い株式市場のようなものができたのも吉宗の時代です。

織田信長が長篠の戦で勝てたのは、梅雨の晴れ間であったからだそうです。それが起こったのは、現代の暦では7月9日、梅雨明けは7月の後半ですから、梅雨の真っ盛りということになります。雨が降れば火縄銃は使い物になりません。それが梅雨の中休みだったことで勝利したのです。火縄銃の三段構えで、世界で最も斬新的な戦法を考え出しています。これ以降、「吾こそは・・・」と名乗りを上げて馬を駆って敵陣に突撃するのは無意味になりました。

桜田門外で井伊直弼が暗殺されたのは現代の暦では3月24日、積雪が9センチもあったそうです。そのために護衛の武士の刀は何かの袋に入れていて、すぐには使えないようになっていました。そのため18人の暗殺団に対して60人もの護衛団がすぐさま対応できなかったのです。おまけに暗殺団の一人が銃を持っていて、かごの中の井伊直弼の腰の部分にあたり、居合抜きの達人であった井伊直弼も何ら抵抗できなく、かごから引き出されて首を切られています。1995年警察長官が狙撃されましたが、犯人はいまだに捕まっていません。江戸時代なら捕まれば切腹もんです。

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