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中国で儒教が国教になった頃から、女性に「殉節」とか「守節」とかが暗黙の裡に強制させられるようになります。「殉節」とは亭主が死に、二人の間に男の子が生まれていないときは、その後を追って自殺するというもの。「守節」とは子供がいれば、その養育と婚姻先の父母に死ぬまで尽くすというもの。それぞれの王朝でそのような女性を顕彰した門ができています。これを見て石平は孔子がそのような生き方を女性に強制したのかと調べてみたら、一切そのようなことはありません。孔子死後、200年くらいたって前漢のころから、小賢しい儒学者が、儒学を国教にしてもらうために、おもねって、独裁者の都合のいい支配体制の教義を作ったのです。単なる親への孝行が、たいそらしい忠義に変わります。論語を読めば、孔子は常識以上なことは言っていません。簡単に言えば他人に対して親切にしなさいということです。大工のキリストがパウロによって世界宗教になったように、孔子も各時代の知恵者によって、大きく変節されてきたのです。常々孔子は「怪力乱神を語らず」と言っていたのに、晩年易経の研究をしていたというのはおかしいと思っていたのですが、これも小賢しい知恵者が捏造したものです。常識人である孔子が占いなど信ずるはずがありません。幾分か日本も儒学に影響を受けていますが、もう古墳時代に天皇が殉死を禁止しています。明治時代、乃木希典夫婦の殉死がありましたが、明治天皇は喜んだでしょうか?科挙の試験問題のテキストにすぎない四書五経にがんじがらめに縛られて中国と朝鮮は何と融通の利かない人たちが多かったということがわかります。