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「大阪を歩く」は昭和8年、三十五が42歳、そのあくる年の2月24日に死んでいます。この中で、アメリカの爆撃機と日本のそれとの比較を述べています。
「アメリカの爆撃機が、三千メートルへ上昇するのに4分半かかり、日本のそれが7分かかるということは考えなくてはならんことである。それは、飛行機のみに対しての問題ではなく、一般科学に対してこの優劣があるからである。」
このような前触れから、大阪人は目先の儲けだけを考えていて、その得た富を個人的な奢侈のためにしか使わないと言って嘆いています。研究所でも作って、「明日の大阪をして、発明の源泉地たらしめようと」と提案し、「科学を最初に------文化的開発を第二に――私の希望はこれである」と書いています。太平洋戦争が起こる8年前に三十五は警鐘を鳴らしていたのですが、その甲斐もなく、「3千メートル4分半」の爆撃機を持つアメリカと戦争し、こっぴどくやられてしまいました。直木の作品に「ロボットとベットの重量」というものがあります。技術者の亭主がロボットを作り、妻を残して死にますが、妻が男をベットに引き入れいちゃいちゃしていると、このロボットが現れ、二人を腕に抱えて絞め殺すという小説です。明治生まれの人間が最近脚光を浴びているロボット工学に関心があったとは恐れ入ります。時代小説ばかり書いている古臭い人間だと思ったら大間違いです。
いまでは考えられないことですが、大阪の店員の愛想のなさ・「おもてなし」のなさにも苦言を呈しています。
「私は、外人の店、支那人の店、遠くは、ハルピンで、買い物をしたが、彼らは悉く日本人に比べて、品物の説明を十分にする。日本の店員の如く、品物を前に出して、黙って、突っ立ってはいない。」
今の中国人に聞かせてやりたい言葉です。と言っても今でも日本にこのような店員がいるかもしれません。そういう私すら「おもてなし」の心が備わっていないようです。自戒しないといけません。