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私の貧乏物語

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私の貧乏物語


       カネが儲かってウワウワしたという話より、インスタントラーメンをふやかして食べていたという話のほうが、真実味があって好きです。私自身大儲けしたことはなく、かつては中流だと思っていたのに、いつの間にか現在下流になっていて、病気でもすれば一挙に最最下流に落ちること間違いないといった状況です。私の子供時代は金持の子供もいましたが、金持といったって、飛びぬけた金持ちではなく、大方のものが似たり寄ったりの境遇で、食べているものも大よそ思いがつくもので、キャビアなど食べているなんていう者なんか一人もいません。時たま家にバナナなどがあると、お前の家は金持なんだなと思われていました。ところが平成の今日になると、金持も貧乏人も見かけ上服装にしてもそんなに差がないように思われますが、内実収入は何十倍もの差があり、貧乏人は貧乏を見せないために無理な生活を強いられているということです。我々の子供時代は服でも破れたりするとつぎはぎをしたりしてきていました。つぎはぎしなくてもやぶれたままでも遊んでいました。それをからかうものがいたら、そいつの服を破っていたものです。ところがいまではそのようなことは許されないのでしょう。大方のものが行儀よくなり、他人とはあまり関わりのないような生き方をし、そうかと言って他人よりは異質な生活はできなくて、それなりの体裁を構えないといけないようです。この体裁に結構カネがかかってしまうのです。下流であっても中流の体裁を整えないといけないということは無理がともないます。つぎはぎだらけや、破れたままの服で子供を外に出しては、一緒に遊んでくれる子供など引いてしまい、相手などしてくれません。子供からして親の影響を受け、小さくして体裁を構うような人間になっているのです。慇懃無礼がまかり通る世界は本当に生き辛い世界だと思われます。結局われわれがそういう世界を志向し作ってきたということで、文句のつけようがありません。世界も日本も一部の上流と大方の下流という二極に別れつつあるのですから、上流でないのなら、下流でいてなんでいけないのだと居直ることが必要で、上流に媚びるようなライフスタイルなどとっていてはますます生活が苦しくなるだけです。この本で誰かが言っていましたが、イギリスの労働者階級のように、お前ら(上流階級)がいるから俺らの取り分が少なくなっているのだと堂々と言える考え方にならないと日本は変りません。

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