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出版社の優秀な社員のレクチャーによって、出来上がった本です。まず漢文の書き下し文があり、加地伸行の訳があって、その訳をもっと噛み砕いた、この出版社の編集部の訳をつけて、これにたいして蛭子が感想を綴る構成になっています。
我々凡人は孔子と聞けば、うっへーとひれ伏して、中味を批判するような、大それた考え方をしないように調教されている傾向があります。ありがたい孔子の言葉を覚えるだけで、それによって自分も偉くなったような気がしています。まさしく「学びて思わざれば、即ち罔し」です。中途半端な知識人はみなこれです。反対に蛭子は「思いて学ばざれば、即ち殆し」で、大先生である孔子に対して先入観がもともとないものですから、堂々と批判もしています。
「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」
これに対して蛭子は頑張らないで長生きをすることに意味があると言っています。「命がけで」学問やスポーツをやる必要はないと言い、「生きているだけで楽しいと思えるような人生こそが、一番幸せな人生」と断言しています。顔回のように学問をし過ぎて早死にするようでは、人間として情けない生き方ではないかと言っているようです。
「40・50にして聞こゆる無きは、これまた畏るるに足らざるにみ」
50にもなってパチンコ通いをしても自分の金でやっているのならそれでもいいのではないかといっています。校長先生がフリッピンなどで1万人以上の買春をしたというのも、自分の金で家族にも迷惑をかけないのなら、別に非難することも当たらないのではないかといっています。「畏るるに足らざる」人間であっても、人生を楽しんでいるのなら他人がつべこべ言う必要はないということです。
「不義にして富み且つ貴きは、我に於いては浮雲のごとし」
これにたいして蛭子はカネを稼ぐことで自由を獲得できると言っています。おまけに好きなギャンブルもできて、「人生楽しからずや」だそうです。マージャン賭博で逮捕された蛭子は公営ギャンブルで我慢しているようです。