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フランス・ドゥ・ヴァール 道徳性の起源

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フランス・ドゥ・ヴァール 道徳性の起源


        人間も類人猿も長い間共同生活をしています。おのずとそこにはルールいうものが出来てきます。それが人間世界では、後に道徳や宗教になったのではないかということを言っているようです。もともと哺乳類には相手を思いやるという性格があるということです。それは突発的にできてきたものではないかもしれませんが、長い間集団生活をしていると徐々にそういった性格が形成されてきたのでしょう。群れの中で快適に過ごすためには自分の欲望をセーブする必要があり、相手の思いを理解しないといけません。

どのような宗教もある場所に集まり祈りをささげます。ボノボやチンパンジーでいえば、お互いに毛づくろいをしていることと同じです。傷もなめあったりしています。集団でいることは外敵にも強く、それだけ生命の年数が延びます。孤独よりも皆でワイワイやっていたほうが免疫も高まり、長生きできるのです。

人間は集団にそぐわない行動をしたりすると、「赤面」という反応があります。飼い犬だって、顔は赤くなりませんが、尻尾を巻いてすまなさそうな格好をしています。あるチンパンジーは研究者の指を食いちぎったのですが、その研究者が10年後にこのチンパンジーと会ったとき、このチンパンジーはすまなさそうに、研究者の指がどうなっているのかを心配しているかのようであった記録されています。「犬畜生にも劣ると」とよく人間は言っていますが、犬もチンパンジーもボノボも人間に負けず劣らず道徳性があるのです。

科学万能の世界になったといっても、それで全てを律することはできません。つい最近でも生物学はナチに利用され何百万人もの人が殺されました。フランス・ドゥ・ヴァールはこのような警告を発しています。

「科学が買い被られる原因は、善き社会を築くためにはより多くの知識さえあればいいのだという幻想にたどれるように思える。道徳性の核をなすアルゴリズムをいったん解き明かしてしまえば、安心して科学に物事をゆだねられる、そうすれば科学は最善の選択を保証してくれるという考え方が背後にはある。これは高名な美術評論家はすばらしい絵が描けるに違いないとか、料理評論家はきっと料理の腕も立つだろうと考えるようなものだ。なにしろ、評論家は出来上がった作品に関して深い洞察を示すのだ。適切な知識を持っているのだから、製作も彼らにませてしまえばいいのではないか?ところが、評論家の十八番は事後の評論であり、創作ではない。製作には直感と技能とビジョンが必要とされる。道徳性がどのように機能するかを十分に理解するために科学が成り立つとしても、科学が道徳性を導けることにはならない。卵の味の良し悪しがわかるといって、卵を産むことができないのと同じだ」

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