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いまNHKで韓国ドラマ「トンイ」をやっています。トンイの息子「クム」はのちに21代の王・英祖になります。聖王だといわれていますが、自分の息子を「米櫃」に入れて、餓死さしています。それは息子の継母である歳若い「継妃」貞純王后と彼女と組んだ政治一派「老論」たちの讒訴にためです。いくら賢王であっても、若い女の「ささやき」には心動かせるものがあるのでしょう。息子よりは若い女を選ぶというのは何ともオスのサガを感じさせます。後に後悔して、「思棹(サド)世子」と贈名をして、「思棹(サド)世子」の息子である英祖の孫が22代の正祖になります。朝鮮王朝では王が絶対的権力の持ち主ではなく、有力家臣たちの思惑によって政治が行われていたようです。特に妃とその家系が曲者で、朝鮮王朝の凶事の元になっています。
朝鮮王朝が滅亡したのは直接的には日本が朝鮮を併合したことによりますが、私にはこの朝鮮王朝の王と門閥、閨閥のごちゃごちゃした政治体制がもはや野獣的植民地時代には何ら功を奏しないものになっていたと思います。両班という貴族階級が「四書五経」を暗記するだけで、何ら生産的な仕事をせず、百姓を収奪し尽し、百姓だってどうせ両班に取られるのだからといって、一生懸命労働に励みません。中には先駆的な考え方をする人もいたでしょうけど、なにせこのような状態が500年も続いたのですから、一朝一夕には変えることができません。非常に遺憾なことですが、日本は露西亜よりの王妃・閔を殺害します。この当時の状況を勝海舟は漢詩にしたためています。
「隣国交兵日
其軍更無名
可憐鶏林肉
割以与魯英」
「隣国と兵を交える日(日清戦争)
其の軍、さらに名分はない
憐れむべし、鶏林の肉(朝鮮)
割いてそれをロシアとイギリスに与えることになるとは」
勝海舟の言うとおり歴史はそうなりました。三国干渉です。その後日本はロシアとも戦争し、かろうじて勝って韓国を併合します。その条約を認めさしたのが伊藤博文で、1909年ハルピンで朝鮮人の安重根に暗殺されます。安重根は日本では犯罪者ですが、韓国では英雄として、今では中国のハルピンに銅像まで建ててもらっています。いろいろな経緯があって現在の日本、韓国、中国の状態になっているのです。本当に悲しい状況です。