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渥美清が自分の家庭のことを明かさなかったということは有名なことです。自分が育った家庭ではなく、自分が結婚して作った家庭です。友である関や谷ですら自分の家庭に入り込ませなかったということです。渥美清の息子が日本テレビの入社のための履歴書に、父親の職業欄に俳優と書いていたので、日本テレビは大部屋の役者だろうと思っていましたが、雇用を決め、採用者の父兄会を開いたところ、渥美清が来たので大騒ぎになったとあります。息子は息子で親の七光りで入社できたと思われたくなかったのでしょう。娘も一人いるということですが、一切の情報はありません。知っている人は知っているでしょうが、渥美清の思いが伝わっていて、娘も身をさらすこと興味がないのでしょう。娘の顔に渥美清の顔が髣髴されるものであったら、少しかわいそうだと思いますが、アフリカで映画撮影をしたとき、どのアフリカ人も渥美清を一番偉い人だと確信しています。理由は顔が大きいからだそうです。アフリカの仮面のような顔ですから、神のように思われたのでしょう。渥美清が亡くなってはや30年にもなろうとしています。月日の経つのは速い。
ゴッホのことについて書いたものかと思いましたが、4万年もの美術の歴史を書いたものでした。ゴッホの部分は3ページほどしかありません。欧米の画家などが大方で、日本人では葛飾北斎が載っているだけです。19世紀日本の浮世絵が西洋に大きな影響を与えたようです。サミュエル・ハンチントンは世界の8大文明で、中国文明と別に日本文明もあると言ってくれています。北斎の荒波の描き方など西洋の絵描きには思いもつかないような描き方だったと思われます。ゴッホの渦巻きも北斎の影響を受けたのではないかと推察できます。波に呑み込まれそうな船と、はるか向こうに静寂にたたずむ富士山の対比で、動と静の見事なコントラストになっています。西洋の日常的な遠近法が北斎では宇宙的な規模の遠近法になっています。
昔4,50の歳の女性は、もはやお婆さんですが、この伊勢物語のお婆さんは色気づいていて、3人の息子たちに男を世話してほしいと頼んだが、上の二人は無視したが、「親孝行」の末っ子が母の頼みを聞いて、在原野業平に母を慰めてほしいと頼みます。それで業平はそのお婆さんのところへ行って、慰めてあげたという話です。つまりセックスをしたのでしょう。業平の関係した女性は生涯3733人だということで、このお婆さんもそのうちの一人ということになります。業平はもともと皇族の一人ですがイギリスのヘンリー王子と同じように皇族離脱をし、天皇相続で諍いに関わって殺されることのないような生き方を選んだということです。その分自由に女あさりができたのでしょう。和歌をおくって女を誘惑するのですが、身分の高さを知れば、どの女性も業平には引かれることでしょう。和歌もよく考えると日本人の好きな駄洒落れの積み重ねだと思われます。
「百年に一年たならぬつくも髪われを恋ふらしおもかげに見ゆ」
「つくも髪」とは老婆のことで99歳ということです。つくもという海藻が白髪に似ているということで老婆になるのです。99とは百という漢字を見ればわかります。百の漢字の一をとれば白ということで、百から一を引くと99になります。業平も現在のテレビ番組「笑点」の落語家のように手際よく駄洒落が言えたので人気者でもあったのでしょう。
総会屋が隆盛を極めたころ、大方のものが広島出身、それも山陽高校の出身が多かった。自慢していいものかどうかは人の見方によるが、私はおもしろいと思うが、よくよく考えると、「ホイト」精神であり、ヤクザのゆすりであり、大方のものがヤクザ関係者である。おもしろいというのは、山陽高校卒か中退者が、大企業の東大など難関大学を卒業した社長とサシであって、堂々と金銭をせしめていることである。大会社の社長だって裏では何をしているかわからない。下半身の行状など株式総会でばかされたら紛糾して始末に負えなくなる。痛し痒くして、これらハイエナに金銭を渡して穏便にすますほかないであろう。これらの効率的な金銭の授受を見て、警察庁が乗り込むことになる。とうとう現在では総会屋に代わって、警察の退職者が定年後の就職先になってしまっている。
古来、国家の成り立ちを見ると、まず腕力が強いものが支配者になり、人が増えると、強いだけではだめで、それを補佐する神官や役人が出てくる。単純に考えて、権力と宗教ということになるだろう。同時に二つを兼ねていた天皇のような存在もいたが、室町鎌倉に至り祭祀に限られてしまった。カノッサの屈辱も、織田信長の比叡山焼き討ちも権力者と宗教者の対立である。時には両者は仲良くエリート層を形作っていたこともあったが、人間の性格のマウント性で修復不可能な対立を呼び込むのだ。中国でも佛教の停止が皇帝の命でなされている。446年北魏の太武帝に、574年北周武帝に、841~845唐の武帝、955年五代後周世宗によって廃仏が行われた。これらの対立の主な原因はカネである。織田信長や中国皇帝の宗教弾圧も寺に田畑を寄進し税金を免れ、僧侶たちは贅沢な暮らしをし、あまつさえ軍隊をも持つようになってきたからだ。カノッサの屈辱も司祭の人事権を持つと、いろいろなメリットがあると王は思ったのだろう。哺乳類のオスは自分の生存圏を広げることに邁進し、それが諍いのもとになっているのは間違いない。