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今朝もニュースで昨日自動車にぶつかったドリフターズの仲本工事がなくなったとありました。人間いつどのように死ぬかはわかりません。なるべく平穏のまま自宅で死にたいものであります。
余命一年ちょっとと言われて奮起し、本を二冊も書いた中江兆民もいます。
徳川家康は当時はやり始めたてんぷらを食べ食中毒になりなくなりました。70になっても新奇なもとに対して興味を持つというのは長生きの一つの性格でしょう。
水戸黄門の徳川光圀は生涯二度殺人を行っています。現在では死刑になる殺人件数ですが、御殿様であり何らの咎めも受けていません。脇息にもたれたまま、老衰で死んだそうです。
藤原道長も「驕れるもの久しからず」を地で言った人です。「この世をば 我が世とぞ思う 望月の 欠けたることも ないと思えば」と権力自慢をしたとたん、次々と娘や息子が死んでいき、自身も糖尿病などの病魔に襲われ、悲惨な死に方をしています。
さて私のことですが、肺が悪くなり息苦しさが高まるような気がします。誤嚥性肺炎か、誤嚥そのもので窒息死するかもしれません。
額に参差があり、意志の強さを表している。
額の月角にくぼんだしわのようなものがあり、ここは母との関係を示し、その薄さを示しています。
左の眉尻の上にシミのようなものがあり、不動産のことで悩みを抱えることになるでしょう。
眉間に懸針紋があり、これは離婚相とも言われている。
眉は太く、兄弟運がよい。
目は大きく、一時の爆発力は激しいものであるが、長続きしない。
鼻は高く、ユダヤ鼻の一歩手前であるから、金銭に細かく、絶対に鑑定料はまけないでしょう。
法令は先で二本に割れているから、仕事も二つ持っているのでしょう。
上唇が下唇に覆いかぶさっているようですから、少々慌て者かもしれません。
佛教とともに医学書も入って、その医学書の中に相法なるものがあり、人相手相等が含まれていました。源氏物語で光源氏を占ったのは渤海の高僧で、父である桐壺帝は後継ぎにしないことにしたというのがあります。平安時代に「医心方」という書物があり、隋唐の医学書の{ダイジェスト版}もできていて、その中で予防としての相法が載っています。東洋では病気の発露を相法で知ろうとしたのです。人相では気色というものがあり、額の禿げ際の両サイドにくすんだ暗い影が出ていると、この人の生命は残り少ないと見ます。ソープランドに入るときと出るときの顔の違いは顔の赤みだそうです。誰もがわかることですが、ソープランドでの運動が血液のめぐりをよくするからでしょう。女性で40になって唇にほくろができると、情事をしているか、乱淫になっているかだそうです。
江戸時代、日常のこまごましたことを書きつらね、幕臣の間ではちょっとした有名人だったお爺さんがいました。それが旗本天野弥五郎衛門で、その本の名が「思忠志集」です。実に85歳まで生きて、当時いくさ(島原の乱)の経験のある唯一の武将でした。それもたいした功績はあげられなく、相手の投石で怪我をしたくらいです。天野弥五郎衛門17歳の時です。それ以降は戦争はなくなり、武道を心掛けるよりは、テクノクラートの技術を磨くようになります。これに対して昔気質の弥五郎衛門は不満で、武道、とりわけ馬に乗ることを強調しています。このおせっかい爺さんは赤穂浪士の事件で、吉良邸に行き、吉良のふがいなさを揶揄しています。幕臣で唯一戦闘経験がある武将ですから吉良も苦虫をつぶしたような顔をしていたでしょう。
男というものは稼げるときには大いに稼ぎ、無駄遣いをせずにカネを貯め、力が衰えてきた時からその溜まった金を少しずつ使うようでしかないようです。それが往々にして若い時からジャガーなどの高級車を乗り回し、女や博打などにはまったりしていると老後は悲惨になります。沢木和也も50過ぎガンになり一挙に生活が崩壊します。世の中には親切な人もいて、沢木和也のために終活ファンディングを作ってくれ、200万円もあつまりました。この本もその一環で作られたものです。高校中退して女性とやれそうなところに就職、婦人服売り場に勤め、「女性はカネをくれるもの」というものが彼の脳に刷り込まれました。17歳の沢木少年に対してデパートのお姉さまはセックスをさせたうえにお小遣いまでくれたのです。スポーツ紙の三行広告の就職記事でおかま専門のホストに売られたり、それから念願かなってAVの男優になっています。一時期素人娘を街で拾い、セックスをするナンパAVがもてはやされましたが、これは沢木和也がはじめたものです。