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トラジャとは「インドネシア・スラウェシ島の中央や西南の山岳地帯に暮らすマレー系の先住・少数民族の名称」ですが、この本では革マル派が東日本JRのなかに作っていた細胞(秘密組織)の暗号名です。つい最近まで、革マル派の専従員が労働組合に巣くって、脱退した人をつるし上げたり、無理難題をふっかけ、経営陣の社長など自殺に追い込んだりしています。
もともと国鉄という親方日の丸の国営会社であったものが、余りにも労働組合が強いもので、今のようにJR東日本とかJR西日本とかに分割されて民営になったのです。戦後、ソ連の共産党政権の成功から、また北朝鮮の金日成の労働者の輝かしい国というイメージから、国鉄の労働組合は共産党などの左翼のものたちの影響を受け、労使対決の姿勢をとります。スト、サボタージュなどは労働者の権利として認められていますが、それも行過ぎると国民の反感を買います。破壊行為など、それは使用者側の陰謀だという人もいますが、気がたるんでいて、相当無茶なこともしているようです。
やがて、ソ連の内情や北朝鮮の内情が知れ、共産党国家の状態もそこで働く労働者の生活もそんなにすばらしいものではないとわかると、国民の目が無理難題を押し通す労組に対して厳しくなります。そういう状況下で国は国鉄を解体し、戦闘的な労働者の首を切ります。
新しく変わったとしても、OBなどがいてチャチを入れてくるのです。監禁したり暴行したり、それらに被害を受けたものは、自殺したり、海外に逃亡したりしています。
最近どこの会社でも労働組合がおもてだって出てくるようなことはあまりありません。おまけに若者は労働組合に入ることもしていないようです。組合に入ると毎月組合費をとられるので、入りたくないのでしょう。東日本JRでも毎月の組合費は7000円くらいになります。これらが少し前まで革マル派の資金になっていたようです。本来の労働組合は労働者の権利を守るものであったのが、一部のものたちの勢力拡大のためだけのようなものになってしまったのでしょう。今では政府が組合に代わって経済連に労働者の給料の値上げを要求していているくらいです。
ツィオルコフスキーは1857年生まれ、1935年78歳で亡くなる。ロシアのロケットの父と言われています。1957年に打ち上げられた世界最初の人工衛星スプートニクはツィオルコフスキーの生誕100年記念でもあったのです。この頃はまだ共産主義が輝いていて、やがて資本主義に取って代わるだろうといわれていました。みなが労働して公平に分ける世界が到来し、飢えることもない。ところが内実、ソ連の第一次の5ヵ年計画うまくいったのですが、2次、3次となると勢いがなくなります。農業の集団化もいくら働いても収入が増えるわけでもないから、みなが手抜きをし始めます。人間、欲が高まらないと仕事をしないということです。工場でも親方日の丸でなくて「赤旗」ですから、さぼりにさぼりまくります。これでは生産性など上がるはずがありません。アメリカとの対決上、ロケット産業や兵器産業には投資をしますが、あとはボロボロです。ロシアには長年農奴という、暴君の下で耐えられる我慢強い人民がいるので、めったに革命を起こりませんが、起きたらこの前のスターリンのように2000万人くらいの犠牲者がでます。現在のプーチンの毒殺者くらいの暴君では革命を引き起こすほどの耐え難い状況ではないようです。
ツィオルコフスキーのこのSF小説ではこの太陽系に人間に似た宇宙人を描いていますが、残念ながら、この太陽系内では宇宙人はいないようです。
人相学も骨相学も今ではアカデミックな世界ではまともに取り扱わないものです。差別を生み出し、ユダヤ人へのホロコーストまで行き着くからです。この本でもアリストテレスからさらりと人相学の歴史の流れを記していますが、個々の人相の内容を詳しく書いているものではありません。最終的に現代では化粧や整形手術で顔かたちを変えるので、もともと意味も無いものだが、人相学そのものが適用できない状態になっていると結論付けています。
昆虫好きの養老先生がブータンに行ったときの話しが出ています。ブータンの人は「昔の日本人のよう」に「一人一人みな違う顔をしている」ところが日本人かと見間違いかと思われる人と出会う。その人とはブータンの役人だったということで、そこで養老先生ははたと気づきます。「現代の日本人は組織に縛られた役人顔なんだな」と。ここでシュペングラーのお出ましです。西洋の没落はまず日本が先頭をきるのです。都会に蟻集した人々は無表情になります。知っている人がいないのですからそうならざるをえないのです。知らない人とうまくやっていくためには、役人のそうですが「慣例」が重要視されます。ある程度これで社会は回りますが、長年続けると制度疲労が高まります。老人を見てもわかりますが、安全のためにベットにくくりつけておけば、やがて起き上がれなくなります。民族もそうで、慣例でことを済ましたりしていると、自然と衰微してくるのです。中国では60万円の電気軽自動車が売れています。ところが日本ではいろいろな規制があって、公道を走れないのです。イヌの首を据え変えたりする研究もしています。将来的には元気な若い死刑囚の首をはね、かわりに習近平の首を載せる魂胆があるのでしょう。このようなことまでして民族を生き延びさせるというのも問題ですが、座して死を待つよりは、少しは夢があるのではないでしょうか。
交通公社とタイアップで赤瀬川原平があちらこちらへ行き、印象記を書き、バブルの余燼さめやらぬときですから、本の装丁もそれなりにしっかりしたものになっています。このような企画が赤瀬川原平にもたらされるということは、彼の文章が飄々としておもしろく、変に角がとがったところがなく、そつなく器用に、注文主に沿うような文章をまとめることができるからです。彼も若い頃は一万円札を模写し、警察に事情聴取されたこともありました。若い時は誰しもとがっています。それからおいおい世間がわかってきて、天皇何するものぞといっていたものが、やがて正月皇居に行き、万歳を三唱して、涙がにじみ出たりするのです。成長といえば成長、老いたのかといえば、そうかもしれません。老いても若い時の考えが変わらぬというなら、それらは若い頃ゲバ棒を振るっていたグループの幹部だけでしょう。ゲバ棒幹部から資本主義の走狗といわれようとも、交通公社や出版社から金と交通費をもらい、土地土地の老舗料亭で旨い魚と酒を呑み、それを文章にし、またその本が売れればこれにこしたことはありません。晩年は死を前にして悲惨な考えになりがちですが、赤瀬川原平ほどの才能が無く、日々太陽があがってくるのを目にして、今日も生きていると思えば、たとえただ飯が食えなくても、自分は幸せだといい含めることが必要であると思われます。
トランプが大統領になった年にこの本は書かれています。明日1月20日バイデンの大統領就任式がありますが、方々で厳戒態勢がとられています。トランプ支持者が銃をぶっ放すのではないかと心配されています。ガガが国歌を歌うそうですが、暗殺の危険すらあります。
トランプが大統領になれたのは、落ちぶれた白人層の支持があったからです。かつては白人層は既得権益があり、白人であるということだけでカラーよりはいい就職先が見つかったり、公共施設でも自分たち専用の場を作ったり、気に食わないと黒人をリンチしたりしていました。やっと最近になって、アファーマティブ・アクション(黒人などに優先的に就職や入学を許す)や、ポリティカル・コレクトネス(民族や性のマイノリティの権利の尊重)の運動を通して、差別が是正されつつあるとき、白人層はそれによって自分たちの権利が縮小されるのだと感じるのでしょう。おまけにグローバリゼーションで、能力の無い白人層は貧困層に落ちってしまいます。これらがトランプを支持してもう一度白人支配のアメリカを再生しようといたのですが、バイデンに破れてしまいました。
「この亀裂は、米国という国、その社会、政体が、市場経済に立脚した開放的な経済政策や多様性を重んじるリベラルな価値観をこれ以上支えきれなくなくなっている現実をしめしているのではないか」
津上俊哉はトランプ政権の初っ端にこう書いていますが、はたしてバイデンも舵を切戻して、再びグローバリゼーションの方向へむかうことができるでしょうか?
アメリカはどのような政党でも覇権国である自分たちの国を揺るがすような国を絶対に許しません。第二次世界大戦で日本を、1980年代の経済戦争では再び日本を撃沈し、現在は中国と経済戦争を行なっています。このコロナ禍で中国だけが経済成長がプラスになっています。一見好調なようでありますが、かつての日本のバブルのようなところもあり、隠れ借金が膨大なものになっていて、いつはじけてもおかしくないと言う人もいます。いづれにしても中国は日本の失敗を研究して米国との交渉に臨んでいくでしょう。