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読書

みんなの心にいきた山下清


       八幡学園での山下清の貼り絵は、宿題のようなもので、これをやっていると、何も言われないし、没頭することで、ほかの用事を言われないので、やっていただけで、好きでやっているわけではないのです。彼の絵が有名になって、芸術的動機が芽生えたかというと、そうでもなく、「仕事だからなあ」と言っているように、自分でも仕事をしているという実感を得たかったからでしょう。放浪していた時、妾宅の雑用係になったり、弁当屋、魚屋に使われているときと同じ感覚です。山下清は絵だけではなく、日記も宿題として書かされています。随筆家の吉田健一は山下清の文章を読んで、こう言っています。

「君、拙さというものは、一種の美徳だね」

解説者はこの言葉をもっと深く掘り下げています。

「私は始末に困るほどの教養を身につけた男が、偽りの無い表現のために、言葉の見せ掛けの豊富さに悩んでいるのを感じていた。正確に伝えようとすると言葉が不完全になるという日本語の宿命を救えるのは、拙さだけではないだろうかというのである」

式場隆三郎の部屋に飾ってあった山下清の「長岡の花火」を見た柳宗悦は、「なんとすこやかな単純さか」と言い、バーナード・リーチは、梅原龍三郎の絵と比較して、「50年後に残るのは花火の方じゃないかな」と言っていたそうです。

日本は古来から、精神や身体の障碍者を福の神とたとえていました。山下清も放浪中、むすびを恵んでもらったり、お金をもらったりしています。そうかといっていつも優しく接しられることはありません。警察官に精神病院に入れられたり、ここで乞食をするなと言われて、町のヤクザに顔がひん曲がるほど殴られたりしています。今もそうでしょうけど、学校ではいじめられていました。しかし晩年、死んだのは48歳ですが、母や兄弟たちと一緒に家で暮らし、それなりに安定した生活ができていました。

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