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アレクサンドル・パラン・デュシャトレ 19世紀パリの売春

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アレクサンドル・パラン・デュシャトレ 19世紀パリの売春


        アレクサンドル・パラン・デュシャトレはパリ革命後一年目の1790年生まれで、1836年に死んでいます。父は会計検査院の判事ということで3万5千リ―ブルの年金をもらっていましたが、革命後うち切られ、彼は自活のために医学を学び、24歳でパリ大学の医学部の博士号を得ました。数年で開業医をやめ、公衆衛生の専門家になり、その一環としてこの売春婦に関する論文も出来上がったのです。

当時の売春婦は警察に登録されていて、娼家では一週間に一度の検査があり、病気の有無を調べていました。娼家以外のフリーの売春婦も警察に登録されているのですから定期的に診察が行われたのでしょう。アレクサンドル・パラン・デュシャトレは大いにこの警察の資料を活用しています。1万2千600人の売春婦の髪の毛の色、瞳の色、背の高さ、局部の状態、アヌスの状態、等々。日本で言えば江戸の末期ですから、さすがパリには日本人の売春婦はいなかった。髪の色では栗色が一番多く、瞳では灰色だそうで、中には赤の瞳もあります。背の高さの中央値は150~159で、今から見るとそう大きくはありません。局部の状態も激しく酷使するからといってとりわけ大きくもなく、いろいろあって一般女性とそうかわりはないということです。アヌスの状態も、こういったセックスは聖書では悪魔の仕業とされており、売春婦自体そうしたことはしていないと言い張り、検査してもはっきりしないということになっています。

 

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