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大下英治 梟商 小佐野賢治の昭和戦国史

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大下英治 梟商 小佐野賢治の昭和戦国史


    梟商の梟はフクロウのことで、中国では悪強い鳥で、漢和辞典では梟臣というのが出ていて、「勢力のある悪臣」とあります。梟商とは大下の造語なのでしょう。古代ギリシャでは知恵を象徴しています。いづれにしても悪いかどうかはわかりませんが、賢い鳥なのでしょう。小佐野賢治も高等小学校出ですが、知能指数は高かったそうです。兵隊にとられても、出来損ないの兵士の振りをし、たくさん殴られましたが、前線から後方に回され、負傷兵の担架運びにされ、最後には病気の振りをして、広島の宇品の軍の病院に逃げ帰っています。それから軍隊に入る前にやっていた仕事、自動車の部品を売っていた会社の従業員をしていたということから、トラックで軍の物資を運ぶ会社を立ち上げます。軍のえらいさんに賄賂を贈り、事業を広げます。終戦間際新札を運んでいましたが、運んだ先に戦乱の混乱で相手が居らず、その金を猫糞します。その金で戦後、あちらこちらの土地を買い、バス会社を買ったりします。おまけに朝鮮戦争で米軍に取り入り、米軍の輸送の仕事も手に入れます。金がたまればたまるほど人脈も豊かになり、とうとう山梨の水飲み百姓のせがれが戦前では華族といわれた貴族のお嬢様と結婚するにまでいたります。この美しいお嬢様はさぞかし贅沢ができるだろうと思っていましたが、小佐野賢治は大のけちで、刺身を切って出したら、こう小佐野は言ったそうです。

「こう厚く刺身を切ったら金はたまらないよ」

おまけに寝るときは財布の中の金を勘定し、寝ている間に妻が財布から金を抜き取ることを用心していたといいます。この二人の間には子供は生まれませんでした。小佐野にとって華族の嫁と言う肩書きが欲しかったのでしょう。小佐野の体も病気で子供ができない体になっていたということです。

金があるとどうしたものか女が寄ってくるようであります。女優やスチュワーデス、銀座のクラブりえママ、りえママには株券で7000万円ほどつぎ込んだそうです。華族の妻英子への結納金は9000万円だそうで、変にけちなところがあると同時に妙に鷹揚なところもあるのです。

いづれにしてもどんな金持ちでも終わりは来るのです。1986年(昭和61年)亡くなります。69歳です。

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