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https://www.franceinter.fr/emissions/un-ete-avec-montaigne/にラジオで放送されたテキストが載っています。この本で最後の40話、「世界の王座」は、このウェッブでは「La conclusion」になっています。翻訳者が各講座の題名をその講座の内容を濃縮したものに変えています。39話では「失われた時」ですが、原本では「Du dementir」となっています。
モンテーニュは生まれて数年間はラテン語だけで育てられたということです。父の教育方針で、ドイツの医者をモンテーニュの家庭教師として雇い、この人はフランス語ができなくて、ラテン語でだけでモンテーニュと接していたということです。だからモンテーニュはラテン語を母国語のように自由に扱えますが、あえてこのエッセーではフランス語で書いています。この時代本を出すということは学問語のラテン語で書くことです。それをあえてフランス語で書いたということは、彼のひねくれた性格によるものでしょう。どの時代もそうですが、私のような「中途半端な者」はよくも知らないのに、英語とかフランス語とかの単語を書き出して、さも能力があるように振舞っていますが、実際は銅であり金ではありません。反対にモンテーニュは金であるにもかかわらず、銅のふりをした人です。崇高な古典の文章もよく引用していますが、それ以上に文化人として似つかわしくないようなことも書き連ねています。
『あの偉大なアイソポスは、自分の先生が散歩しながら小用を足しているのを見て、「たいへんだぞ、ぼくたちは走りながらうんこをしなくちゃいけないのかな」と叫んだという』
あのアイソポスすら若い頃はあのようにアホだったんだから、私たちは心して正しい考え方をするために、あまりある「ひまな」時間をそれに費やさないといけないといっているのです。
モンテーニュはアイソポスでみたように、偉大な歴史上の人物の高邁な言動よりも、些細なエピソードに心惹かれているようです。アレクサンドロスの汗は芳しい匂いがしたしたという言い伝えに対し、ペストがはやっていたモンテーニュの時代、「最もいい状態とは何も匂いがしないときである」と言ったりしたり、アレクサンドロスは頭を傾げる癖があったとか、カエサルは頭を掻く癖、キケロは鼻くそをほじくる癖など、いろいろひまに任せて紹介しています。