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カンパン夫人はじめルイ15世の娘たちの朗読係として雇われました。といっても雇われたときは彼女が15歳で、ブルジョワのジャック・ジュネの長女アンリエットです。父親は優秀な官僚で、イギリスに行ったりして、外交官のようなことをしていたのでしょう。当時では珍しく長女に英語やイタリヤ語、音楽、絵画などの教育を受けさせました。この時代では王女すら満足にフランス語を書くことが出来ない状況です。ましてや普通の女性など、教育などほとんど施されていません。服の前後ろが分かれば十分だという程度しか、女性には期待されていません。女性の本務は子供を作ることだということで、これは王族も庶民も考え方は同じです。
やがてルイ16世の嫁にマリー・アントワネットが嫁いできます。アンリエットはこのアントワネットにも信頼されて、首席侍女になります。結婚して当分の間アントワネットに子供ができなかったのは、夫のルイ16世の性器に問題があったようです。結婚して11年間も子供ができなかったのです。アントワネットの兄が来て、ルイ16世に包茎手術を勧めます。その手術の後、どしどしと子供が生まれます。しかし幼児期に死んだり、革命期に殺されたり、生き残ったのは長女のマリー・テレーズだけです。カンパン夫人は辛うじてギロチンの刑から免れ、その後女子教育の学校を作ります。生き残ったことで、いろいろと言われましたが、彼女は回顧録を書き、一貫してアントワネットに忠信であったと書いています。ナポレオンにも保護され、ナポレオンの妹やナポレオンの寵姫ジョセフィーヌの娘も預かって教育しています。ナポレオンもやがて没落し、カンパン夫人も1822年に亡くなります。18世紀から19世紀のこの多難な世情で生き抜いてきたということは、カンパン夫人が幼少期から教育を施されて、女性ながらも自分で考えることができたということに尽きるでしょう。