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表紙の髪形はまだおとなしいものです。口絵の中には帆船を模した髪形もあり、高さが1メートルくらいもあります。これでは歩くこともままならないし、頚椎を痛めることは間違いありません。女性たちの美容に対するも妄想は止まることがありません。アホらしいことの一言につきます。ボードレールは女はみんな結婚する前までは娼婦であると言っていたような記憶がありますが、マリー・アントワネットも子供を2,3人産むまでは、落ち着きのない、遊び女のような生活をしているようです。彼女の義理父ルイ15世の后妃は娼婦上がりです。当時の王や貴族は正妻のほかにこういった妾を多く抱えていたのが当たり前の風潮でした。ところがマリー・アントワネットの夫ルイ16世は趣味が錠前いじりであり、結婚しても10年間は包茎でセックスできなかったといわれています。これではマリー・アントワネットも不満が溜まるでしょう。髪形でごたごた飾ることでその不満を解消したのでしょう。髪結いレオナールは朝一番、王妃のベットの中で添い寝しながら髪を梳いていたといいますから、気持ちのいいこともしていたのではないかと思われます。まわりにはおつきの侍女たちもいたのですからあからさまなことはできなかったかもしれませんが、タッチなどをして、それ以上にマッサージをして王妃の気持ちをよくさせていたのでしょう。マリー・アントワネットははじめフランス国民に歓迎されましたが、冷害などによって経済がおかしくなると「オーストリアの雌豚」と言われ毛嫌いされます。彼女の乱費でとうとう革命が起こり、断頭台の露となります。マリー・アントワネットによって莫大な富を得た髪結いレオナールは王妃を助けるために奔走しましたが、歴史の流れを変えることができませんでした。髪結いレオナールもフランスに戻れなくて、ロシアの王宮に入り、時代遅れの技術でもまだロシアの貴族階級では通用しました。ナポレオンが倒れ、再びフランスで王政が復活すると、髪結いレオナールはフランスに戻ります。亡命時代のルイ18世に髪結いレオナールは金銭的のも援助していましたが、ルイ18世が髪結いレオナールに与えた職務はドアマンで、その後ちょっとましな国葬担当事務局長にしています。貴族にさしてやるという、ルイ16世の約束も反故になりました。
この本の記載は小説仕立てであり、曖昧なところは著者の想像力でおぎなっています。大筋では間違いないようですが、髪結いレオナールがマリー・アントワネットから預かったダイヤモンドや宝石類がどうなったかははっきりとはしません。一応イギリスで換金しそれを送金したと書かれていますが、誰が受け取ったのかはかかれていません。曖昧なままです。亡命の貴族たちに援助していたということですから、ネコババしたのかもしれません。